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斉昭公ゆかりの地

 名 称   関連ページ・写 真   記 事 
偕楽園 ●偕楽園へ 常磐神社隣接・日本三公園のひとつ
弘道館 ●弘道館へ 水戸市三の丸・水戸藩の藩校
東湖神社 ●東湖神社へ 常磐神社境内・藤田東湖命を祀る
最後の将軍 ●最後の将軍 徳川慶喜公
●「特集」徳川慶喜公
 (NHK大河ドラマ関連)

徳川慶喜公=斉昭公(烈公)の七男
大津浜 斉昭公が藩主になる5年前の文政12年(1824)、大津浜(現在の北茨城市大津町辺り)にイギリス船が来航上陸する騒ぎがあった。すでに會澤正志斎や藤田東湖によってすでに攘夷思想が高まっていた頃である。

<写真> 上=現在の大津海岸。
     中=現在の大津漁港。
     下=南方の海岸から遠望した大津海岸。

吉田松陰 水戸留学の地 現在の水戸市南町二丁目 水戸セントラルビル付近。
吉田松陰が水戸を訪れたのは、嘉永4年(1851)12月19日から翌年1月20日にかけてである。この地にあった永井政介宅に約一ヶ月余り滞在したが、その間、會澤正志斎・豊田天功等の碩学に師事し、水戸の学問の神髄を学んだといわれる。
その精神は、やがて長州藩の志士を奮起させ明治維新の原動力となった。
ここにある記念碑には、水戸を去るにあたり、政介の長子芳之介に与えて志を励ました松陰直筆の詩が刻まれている。<参照>幕末志士と水戸藩
水戸殉難志士の墓

回天神社・回天館
水戸市松本町。
元治元年甲子(1864)の筑波山挙兵(いわゆる天狗党)その他尊皇攘夷運動に命を捧げた水戸藩士374名の墓がある。
安政の大獄、桜田門外の変などに参加した藩士を加えて、1785名の霊を合祀した忠魂塔が昭和8年(1933)に建てられ、回天神社は昭和44年に明治維新百年を記念して創建された。
回天館は、水戸天狗党の諸士が閉じこめられていた越前敦賀の鰊倉(16棟)のうち1棟が、昭和32年(1957)、敦賀市の厚意により水戸市に寄贈され、常磐神社境内の一隅に移築復元されて「回天館」と名付けられたのに始まる。同館は往時を偲ぶ展示館として、拝観に訪れた人々に深い感銘を与えてきたが、復元後30年の歳月を経て建物も老朽化し危険な状態になったところから、この歴史的建造物の毀損に心を痛めた水戸の有志達によって、広く浄財が募られ、平成元年(1989)秋に、回天神社の境内に移築再建されたのが、現在の回天館である。
「回天」とは、混乱・衰微した時勢や国勢を、正しき状態に盛り返すことを意味する言葉である。