HOME >水戸光圀公と斉昭公 >黄門さまゆかりの地

黄門さまゆかりの地

 名 称   写 真   記 事 
西山荘 常陸太田市・黄門様の隠居所
嗚呼忠臣楠子之墓 神戸市湊川神社境内にある、楠木正成公の墓碑
水戸家上屋敷跡 現在の小石川後楽園・東京ドームを含む
水戸家中屋敷跡 現在の駒込東大農学部・大日本史が最初に編纂された所・朱舜水先生終焉の地
水戸家下屋敷跡 現在の墨田公園・明治天皇御製碑『花くはし..』・藤田東湖先生蟄居の地
現在の墨田公園・墨田旧邸の碑
鎌倉英勝院 父頼房公の後見、英勝院お勝の方ゆかりの寺
江の島 黄門様実際の漫遊の南限の地
勿来の関 黄門様実際の漫遊の北限の地。
那須国造碑 国宝。栃木県那須郡湯津上村の那珂川右岸段丘上の所在。現在、碑身は笠石神社のご神体として祀られている。
宮城県の多賀城碑・群馬県の多胡碑とともに「日本三古碑」のひとつ。
笠石を載せる形状は多胡碑に類似する。碑材は碑身・笠石とも八溝山系の花崗岩(黒御影石)である。
大きさは碑身の最大幅48cm,最小幅43.5cm,高さ120cm(笠石の嵌入部を除く)。
四柱造りの笠石は、方51cm,高さ30cm。
碑面は前面のみを磨平し、その中央部に方約2cmの六朝的書風を保つ楷・行書の文字を19字詰8行全152文字に割りつけて薬研彫りしている。
碑文は冒頭3行に漢字を用いた和文脈で永昌元年(西暦689年)の「韋提(いで)」という人物の評督任官および「庚子年」すなわち文武天皇4年(700年)の死去記事と息子と思われる意斯麻呂らによる本碑建立の由来を記す。後末の5行は対句を用いた漢文脈で韋提の行・徳の顕彰と嗣子らの志向を記録している。
貞享4年、現在の栃木県馬頭町を訪れた光圀公は、土地の有力者大金重貞からこの碑のことを聞き、保全のために元禄4年佐々宗淳を遣わして覆い堂を建て中に碑を安置した。現在も当時のままの姿で笠石神社が祀られている。
下侍塚古墳(車塚) 光圀公の命によって、埋葬されている人物が誰であるか那須国造との関係を確かめるために、佐々宗淳は上・下二基の車塚を発掘調査した。結果としては「韋提」との関係を示すような遺品の出土はなかったが、鏡・高坏・鏃などを丹念に調査・記録し元通りに埋め戻して、新しく封土を築き崩壊を防ぐために松を植樹した。
紀恩之碑 旧水戸藩領武茂郷(現栃木県馬頭町)が嘆願も叶わず二度目の廃藩置県によって栃木県へ編入されてしまい、約270年に及ぶ水戸藩政の遺徳を顕彰するために村民たちが花館山の山頂に建立した記念碑。当初は「義烈両公の碑」と呼ばれていた。
碑文などくわしいことは『水戸藩改革の余光』(水戸学講座)を参照してください。