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烈公年譜(斉昭公の一生がわかる)

西暦 年齢 月 日 ・ 記  事
寛政12年庚申 1800 1歳 3月11日、江戸小石川邸に御生誕。
諱は齊昭、字は子信景山又濳龍閣と号す。
初名紀教、字は叔寛敬三郎と称す。
武公の第三子なり。母は外山氏。
享和3年癸亥 1803 4歳 始めて孝経を読む。
文化元年甲子 1804 5歳 始めて和歌を賦す。
文化2年乙丑 1805 6歳 11月、文公薨ず。
文化5年戊辰 1808 9歳 始めて鳥銃を習う。
文化10年癸酉 1813 14歳 強弓一日二千射。
文化13年丙子 1816 17歳 8月、元服を加う。
閏8月、武公薨ず。心喪3年に服す。
文化14年丁丑 1817 18歳 9月、仁孝天皇御即位。
文政元年戊寅 1818 19歳 11月、始めて笙を吹くことを学ぶ。
此年、孝経を細写し、之を懐にす。
文政2年己卯 1819 20歳 自ら肖像を画て鷹司公に呈す。
文政7年甲申 1824 25歳 銃を放すこと一日千発。
文政10年丁亥 1837 28歳 11月、小石川邸災に罹る。公予め災のあることを慮り乞うてその備を為せり。
文政11年戊子 1828 29歳 正月、駒籠の別邸に移り住む。
6月、哀公濳龍閣の題字を賜う。
文政12年己丑 1829 30歳 10月、哀公薨じ封を襲ぐ。
12月、叙位従三位左近衛権中将に任ず。文恭公諱字を賜い、名齊昭字子信と更む。
同月、執政赤林重興等を黜く。明年、参議に拝す。
天保元年庚寅 1830 31歳 正月、諸臣をして事を言べしむ。
7月、土木の費を省き官民を賑恤す。
9月、絹服を着ることを禁ず。
天保2年辛卯 1831 32歳 正月、七郡庁を合せて四郡庁と為す。
有栖川熾仁親王の女登美宮を娶る。宮は後に貞芳院と称し、文明夫人と諡す。
天保3年壬辰 1832 33歳 5月、義公従二位権大納言を追贈せらる。
6月、世子生まる。
8月、諸臣をして海舟に乗り、銃を以て鯨魚を撃たしむ。
12月、神書の考訂を命ず。
天保4年癸巳 1833 34歳 3月、藩に就く。告志篇を示す。
4月、勝倉山に蒐す。
10月、厳しく火葬を禁ず。
12月、桜野の牧を置く。
天保5年甲午 1834 35歳 3月、南部を巡視し鹿島神宮に詣づ。
4月、参府。
9月、老中大久保加賀守に書を与え、山陵及び北海のことを言う。
天保6年乙未 1835 36歳 4月、育子の制を定む。
天保7年丙申 1836 37歳 3月、定府の諸臣を水戸に移す。
春、巨砲数門を鋳る。
5月、山野辺義観に命して、海防総司と為し介川に鎮せしむ。
此年、大餓稗倉を発き百方賑枚す。
天保8年丁酉 1837 38歳 3月、諸臣と戎服して東照宮の遺物を拝す。
同月、養老の制を定め、九十以上の者に米を賜う。
8月、権中納言に任す。
天保9年戊戌 1839 39歳 5月、床几廻りを置き游倅の用ゆべき者百人を之となす。
9月、徒形の制を定む。
此年、幕府に上書して、天下の大計を論す。戊戌封すは異なり。
天保10年己亥 1839 40歳 4月、始めて議して経界を正す。
天保11年庚子 1840 41歳 正月、藩に就く。
3月、曲水の宴を箕川に設く。
同月始めて追鳥狩。
10月、常平倉の法を修む。
11月、光格上皇崩御、建議して諡号を上る。
天保12年辛丑 1841 42歳 閏正月、文恭公薨ず。
3月、大熊村に至り牧地を閲し諸山を踰え那珂港に宿す。
8月、弘道館落成。
12月、丙丁録を幕府に献ず。
天保13年壬寅 1842 43歳 6月、郷校を各所に置く。
7月、偕楽園成る。
11月、始めて銃陣を肆む、名づけて大極陣という。
此年、仏寺に諭し鐘像を進めしめ、大砲を鋳る。
天保14年癸卯 1843 44歳 3月、参府、公が政事に精励するを賞し、宝刀等を賜う。
同月、八洲文藻を京師に献ず。
6月、藩に就く。
弘化元年甲辰 1844 45歳 正月、経界竣工。
3月、東照宮の祭法を改む。
5月、幕府の命を以て駒籠邸に屏居、世子封を襲ぐ。世子諱慶篤後諡して順公という。
弘化2年乙巳 1845 46歳 7月、順公従三位に叙し中将に任ず。
8月、名君一班抄を老中阿部伊勢守に遣す。
弘化3年丙午 1846 47歳 12月、順公参議に任ぜらる。
弘化4年丁未 1847 48歳 9月、七郎公子一橋家を繼ぐ。後昭徳公薨するに及び、入りて大将軍と為る。
同月、孝明天皇即位。
嘉永2年己酉 1849 50歳 3月、幕府、与に藩政を聞くことを命ず。
9月、慎徳公小石川邸に臨み、公謁見す。
嘉永3年庚戌 1850 51歳 12月、順公権中納言に任ず。
嘉永4年辛亥 1851 52歳 9月、明倫和歌集成る。
嘉永5年壬子 1852 53歳 2月、大日本史紀伝剞厥悉く成る。
6月、地球儀を京師に献ず。
10月、幕府随時登営を命ず。
嘉永6年癸丑 1853 54歳 7月、幕府海防の議に参することを命ず。
同月、慎徳公薨ず。
8月、小石川邸に移る。
同月、順公巨砲七十四門を幕府に献ず。
11月、幕府歳に蔵米五千貫を賜う。
此年、神務館落成。
安政元年甲寅 1854 55歳 4月、皇宮火く、手装の琵琶を京師に献ず。
同月、新に反射炉を那珂湊に設く。
此年、北島志成る。
安政2年乙卯 1855 56歳 8月、幕府隔日登営を命ず。
冬、親しく護身刀を鍛え、諸れを京師に献ず。
此年、破邪集刻成る。
安政3年丙辰 1856 57歳 3月、結城朝通処刑。
安政4年丁巳 1857 58歳 閏5月、弘道館開黌式。
7月、海防の議に参することを免ぜらる。
11月、老中に書を与え、公使と為って外国に赴くことを願う、老中之を封還す。
12月、旭日船成功せるを以て、黄金を賜う。
安政5年戊午 1858 59歳 4月、汽船観光丸に乗り品海に遊ぶ。
6月、大老老中に書を与え廟算を問う。
同月、尾公趙公等と登営、外国条約は宜しく勅允を請うべきことを論ず。
7月、幕命を以て再び駒込邸に屏居。
8月、温恭公薨ず、昭徳公襲職す。
同月、勅諚を順公に賜う。
安政6年己未 1859 60歳 8月、幕命を以て水戸城に移居す。
12月、文明夫人水戸に至る。
万延元年庚申 1860 61歳 6月、息距篇成る。
8月15日病薨、瑞龍山に葬り諡して烈公という。
文久2年壬戌 1862 9月、贈従二位権大納言。
明治2年己巳 1869 12月、贈従一位。
明治6年癸酉 1873 3月、義公と合祀し、常磐神社という。
明治7年甲戌 1874 10月、神号を賜い押武男国御楯命という。
明治15年壬午 1882 12月、常磐神社、別格官幣社に列せらる。
明治36年癸卯 1903 6月、贈正一位

『常磐神社史』より