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【総題】「義公修史の開いた道」について

            水戸史学会会長  名 越 時 正

 義公は水戸藩主として藩政の上にも大きな善政を布かれましたし、御三家の一人として幕府の政治を輔け、更には朝廷を尊んで朝儀復興ひいては皇威の回復に目に見えぬ大きな貢献をされました。 しかし、それらは全て義公の学問思索によるもので、いわゆる政見・政策に止まるものではありません。 その修史も「大日本史」が第一でありますが、関連して沢山の書物が編纂され、それぞれ文化史、学問史上に貢献しました。
 そのように、義公の修史が大きな効果を発揮したのは、その史学の理念によるもので、第一の問題としては、義公が十八歳の時の立志を深く考えることでありましょう。 それはこの年、司馬遷の「史記」の伯夷伝に啓発されたと言われていますが、その前提として生誕の秘密、兄を越えて世子に選ばれたこと、少年期の無自覚な行動と周囲の人々の影響、それに当時の修史ブーム、わが国の正史編纂とその盛衰、幕藩体制という様々の条件の中で、中国の正史である「史記」を読み、伯夷叔斉の人物と特異な行動を考え、現在と将来の日本のあり方に思いを深められたのでありました。
 それが英傑への関門となったことは、義公を知る最大の鍵と思います。それと同時に、その時から身辺の幸運や非運、あるいは客観情勢の変化の中で、終生停まることなく深め続けられた学問によって義公は自己の道を開いて進まれたのであります。 明暦三年(1657)に史局を開き、やがて藩主となり、寛文十二年(1672)に史局を本邸内に移して彰考舘と命名されたことは、それまで幕府の儒官林家の強い影響から脱却して、水戸史学独自の道を歩むことになりました。
 真の史学は、過去の事実を明らかにするばかりではありません。 ことに国の歴史を作ることは、国の本来の姿を明らかにして変遷の跡を見定め、将来のあり方、理想を掲げ得るものであります。 それと同時に歴史は人が作るものでありますから、読む人は人物を批判し、自己のあり方を正すことができます。 ことに紀伝体の歴史は本紀すなわち天皇の伝記と、列伝つまり皇妃、皇子皇女、諸臣(後にこの中に将軍やその家族、家臣をまとめて配列します)の区別をはっきり示しますから、革命のない日本の国体、君臣の名分が明らかになります。 その他に文学者、歌人、孝子、義烈、烈女等の伝や罪人 (叛臣・逆臣)の伝までまとめ、また新羅、百済、蝦夷等から随・唐・宋・元・明、その他の国々など外国伝も設けました。そして次には神祇志以下仏事志までの十志と、臣連二造、公卿、国郡司等五種の在任年表を加えますから、全三百九十七巻という巨大なものとなり、全部完成したのは明治三十九年で、目録を附けて四百二巻を徳川圀順氏から、明治天皇、皇后両陛下に献上し、また常磐神社に奉納したのであります。
 この間約二百五十年、義公の始められた修史事業は、その根本方針は代々の藩主である水戸徳川氏が受け継いで監督し、実際の研究と執筆は代々彰考舘員が苦心努力しました。 しかし明治維新が達成され藩が廃止されてからは、徳川家の事業として完成されました。
 この大事業を遂行するために、義公は、史料の蒐集、その鑑定、解釈、立稿、校訂など様々に工夫をこらし、多くの独創、発見を生み出されました。 ことにこれらの業務に携わる史臣の採用は、浪人や庶民でも有能なものを全国的に選抜採用し、各自の能力を発揮できるように任務を与えましたが、史料の最も多い京都の人を多く採用し、朝廷・公家・社寺との交渉に力を入れられたことは、自然に京都において水戸の信用度を高め、意志の疎通を深める一方幕府の嫌疑を招くこともありました。
 また義公は編纂上の必要と、史臣の才能を活用して史学以外に新しい学問を興されました。すなわち和文・和歌等の国文学、天文、暦学、算数、地理、神道、古文書、考古学、兵学、書誌等々で、それぞれ貴重な著書編纂物を残されました。 中でも古典の異本を集めて異同を考証し、諸種の校正本、参考本を造り校刻しました。 こうしたことから他学派との交流も盛んになりましたし、水戸領内に学問が普及し、後世農商の間から藩士に抜擢採用されて藩のエネルギーを高めたことも意義が深いことでしょう。
 義公は後世を考えて、考証の経過を註記させたり、史料も六国史以外は註記することなど近代史学の先駆というべく、また古墳の発掘調査も終了後は保存のための財的処置をとっておられます。
 史論の上でも三大特筆は義公の深い思慮決断の結果でありますが、中でも南朝正統論は湊川に楠公の墓碑を建てられたことと相俟って、後世の志士を感奮させ、王政復古の運動を導く大きな役割を果たしました。 そればかりではなく、義公胸中の理想は後世史臣に深い思索と発明を促し、薨後百年藤田幽谷の出現によって尊王攘夷の運動を起させ、烈公の大改革を生んで、西洋列強のアジア侵略の怒濤の中で、日本ひとり独立を全うし、国体に基く明治維新を生み出したことは最も大きな貢献と言うべきでありましょう。
 以上はほんの概略でありますが、これから五回にわたりまして、各先生がそれぞれ研究されました事柄を具体的に詳しく講ぜられますから、皆さんにおかれましては、お聴き下さると同時に、これを現在にあてはめて活用して下さるようにお願い申し上げます。
それが義公修史の精神に合致し「彰往考来」の趣旨にかなうことと思います。 簡単でありますが、総題の趣旨を述べて御挨拶といたします。