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水戸から見た関連年表#9

慶喜公28歳文久4年・元治元年(1864)
文久4年・元治元年
 月  日  記  事
 1   3 関東取締馬場俊蔵ら、常陸国行方郡潮来に至り、常陸、下総地方に集まれる浪士らの鎮撫に従う、水戸藩士住谷寅之介も、また来りて斡旋す。
 10 水戸藩、近日来、水戸浪士と称して、所在を劫掠する者あるを幕府に訴え、本藩努めて鎮撫に当たるも、なお幕府の厳にこれを取締らんことを請う。
 21 将軍徳川家茂、参内、公武一和、攘夷の功を奏すべき旨の勅諭を賜う、将軍後見職徳川慶喜これに扈従す、27日また同じ。
水戸藩彰考館総裁豊田天功没す。
この月 中旬、将軍後見職徳川慶喜二条城に於て、開国の方針に一変せんことを主張す、老中など、聴かず。
 2  12 中村藩士西貫之助ら、水戸藩士と協力して天皇の為に尽くさんと欲し、この日、水戸藩士住谷寅之介と会す。
 16 将軍後見職徳川慶喜、横浜鎖港御請振につき、中川宮邸にて激論す。幕府、浪士安積五郎、元下館藩士渋谷伊予作、元水戸藩士岡見留次郎らを京都六角の獄に斬る。
 18 水戸藩主徳川慶篤、書を藩士武田耕雲斎に与えて、諸所屯集藩士らの鎮撫に努めしむ、ついで20日耕雲斎、潮来より江戸に帰り復命す。
この月 水戸藩士長谷川作十郎、潮来陣屋の鎮撫困難なる事情を同藩士野村彜之介に報ず。
 3   7 長州藩主毛利慶親、藩士有福半右衛門に上京を命じ、書を将軍後見職徳川慶喜に寄せ、攘夷の国是を変ぜず、正議の堂上を復職せしめ、以てその生父斉昭公の遺志をつがんことを説く。
 18 尾張、水戸、加賀、福岡、鳥取、津、福山、桑名、今治、津和野、丸亀の諸藩士及び尾張藩附家老成瀬正肥の家士、京都東山曙亭に会し、攘夷の事を議す。
 19 長州藩士久坂玄瑞、水戸藩士山口徳之進を伴って帰藩し、上国の形勢を報告す、藩主毛利慶親父子、重臣らと議して、しばらく大挙上京の期をゆるむ。
 25 徳川慶喜、禁裏御守衛総督・摂海防御指揮を命ぜられ、将軍後見職を免ぜらる。
 27 これより先、水戸藩士藤田小四郎ら、攘夷を唱え同志を募る、常陸国小川、潮来、那珂湊の同藩学館に集まれる藩士ら多くこれに賛す、藩庁、これを鎮静するあたわず、この日、小四郎、斎藤左次右衛門ら、同藩町奉行田丸稲之衛門を首領に推し、衆を率いて筑波山に拠り、斉昭公の神主を奉じ、更に日光東照宮に拠らんとす、藩庁、参政岡田新太郎を江戸に急派し、情を藩主徳川慶篤及び幕府に報ぜしむ。
この月 幕府、薩摩藩の兵庫、湊川における楠木社創建を喜ばず、自らこれに当たらんと欲す、水戸藩士の間、また同じくこれを望む者あり。
 4   2 幕府、関東8ヶ国に令し、江戸市中菜種油欠乏せるを以て、これを江戸に回送せしむ。
幕府、水戸藩家老に令し、浪士及び水戸藩士らの屯集し、攘夷を唱うる者を厳に鎮静せしむ。
  3 禁裏守衛総督徳川慶喜、水戸藩家老武田耕雲斎に、禁闕守護及び摂海防御の大任を蒙れるを報じ、耕雲斎の兵を率いて上京し、己を助けんことを依頼す。
浪士田丸稲之衛門、藤田小四郎ら、その徒を率いて筑波山を発し、野州路を進み、5日、宇都宮に至る、下総、下野付近の浪士の参加するもの多し。
  4 水戸藩主徳川慶篤、附家老中山信徴及び家老興津蔵人を老中板倉勝静に遣わし、鎖港の幕議決定の要を説かしむ、翌日、信徴、蔵人、勝静の求めに依りて登営、前議を復し、かつ家士を上京せしめて、これを朝廷及び幕府に建言せしむべきを告ぐ、ついで、慶篤、藩士長谷川作十郎に上京を命ず。
水戸藩士金子勇二郎、川瀬専蔵、江戸に於て、宇都宮藩家老鳥居小八郎らと会し、本藩士動揺の状を報じ、その徒もし暴発して宇都宮城下に至らば、穏便に措置し、直ちに通報せんことを求む。
  6 浪士斎藤左次右衛門、同藤田小四郎、宇都宮藩家老県勇記、同戸田公平、同安形半兵衛と同藩修道館に会し、挙兵の趣旨を述べ、日光東照宮の廟前に誓願せんとするの意あるを告げて斡旋を請う、翌日、左次右衛門ら、また会談す、ついで8日、浪士田丸稲之衛門、その徒と共に宇都宮を発し、進みて徳次郎駅及び今市駅に宿す。
  8 江戸留守の老中板倉勝静、同井上正直、同牧野忠恭連署して、水戸浪士の筑波山に集まれる事を、在京の政事総裁職松平直克、老中酒井忠績、同水野忠精に報ず。
  9 朝廷、令して、非常の際、宮、摂家、堂上は建春門より、諸藩主は宜秋門より参内せしめ、また九門外警守の部署を定め、禁裏南門を水戸、紀伊、伊予、松山藩に警守せしむ。
浪士田丸稲之衛門、藤田小四郎ら檄して、尊攘の大義に依りて奮起せる所以を明らかにし、同志の徒を募り、その党の編成を改む。
 10 水戸藩主徳川慶篤、側用人美濃部又五郎、徒士頭立原朴二郎、目付山国兵部らを宇都宮地方に遣わし、元藩士田丸稲之衛門、藤田小四郎らの徒を鎮撫せしむ。
 11 水戸藩主徳川慶篤、攘夷の幕議決せざる限り、筑波山に集まれる徒を鎮撫し難きを幕府に述べ、奥右筆頭野村彜之介を、ついで19日、家老岡部忠蔵を上京せしめ、書を関白二条斉敬、将軍家茂及び禁裏守衛総督徳川慶喜に致し、速やかに横浜鎖港の英断あらんことを請わしむ、また17日、書を鳥取藩主池田慶徳、岡山藩主池田茂政に寄せて、斡旋を依頼す、在府の老中、またしばしば、ひそかに書を在京の政事総裁職松平直克及び老中らに致して、水戸藩の入説に備えしむ。
今市駅に屯集の浪士田丸稲之衛門、藤田小四郎ら、退いて下野国鹿沼に至り、翌日、同金崎に宿す。14日、転じて同大平山に登り、
 13 水戸藩側用人美濃部又五郎、目付山国兵部ら、宇都宮藩家老県勇記と宇都宮藩校修道館に会し、下野国金崎付近に屯集の浪士らの鎮撫応援を求む。
この月 禁裏守衛総督徳川慶喜、原市之進、梅沢亮を水戸藩より雇用す。
 5   2 将軍徳川家茂、帰東により、政事総裁職松平直克、老中水野忠精及び在京の諸侯を従えて参内す、朝廷、直克に水戸藩主徳川慶篤と協力して、横浜鎖港に尽くすべきを命ず。
水戸藩弘道館諸正ら、常陸国岩船山願入寺に集会し、藩内激徒の鎮圧を議す、ついで大挙出府して、藩主徳川慶篤に陳情せんことを議す。
  4 水戸藩、再び横浜鎖港の断行を幕府に促す。
  9 禁裏守衛総督徳川慶喜、下阪、摂海を巡視す、20日帰京。
 11 岡山藩主池田茂政、書を朝廷及び幕府に上げ、下野国大平山屯集水戸藩士らの願意を許して、攘夷の先鋒たらしめんことを請い、また関白二条斉敬及び禁裏守衛総督徳川慶喜にその斡旋を依頼し、鳥取藩主池田慶徳、宍戸藩主松平頼徳父子に、書を復してその意を述ぶ。
 12 桑名藩主高野市郎左衛門、会津藩士らとはかり、在府の老中板倉勝静に謁し、常陸、下野の浪士ら、長州藩士と呼応して、事を挙げんとするの情を述べ、徳川家茂退京の不可を述ぶ、勝静、これに同意す、会津藩士も、また書を京都の藩邸に致して、同じく説く所あり、その説遂に行われず。
 13 在京の水戸藩士原市之進ら、徳川家茂帰府前に鎖港の廟議を決せんことを、関白二条斉敬、禁裏守衛総督徳川慶喜らに説き、斡旋する所ありしも行われず、この日、市之進、その状を江戸藩邸に報じ、かつ老中板倉勝静ら排斥の要を告ぐ。
 14 水戸城下七間町及び柵町に、城代鈴木重棟、家老朝比奈弥太郎、同市川三左衛門を弾劾し、断然討幕攘夷の挙に及ばんとするの趣旨を榜示する者あり、ついで19日、同泉町制札場に、岩船山屯集の諸生を難ずる文をはる者あり。
 15 水戸藩主徳川慶篤小姓頭取国分膳介、目付生熊治衛門を水戸に遣わし、また支藩常陸府中藩主松平頼縄をして、内意を城代鈴木重棟に達し、内訌を未発に鎮撫せしむ、側用人美濃部又五郎、目付山国兵部、徒士頭立原朴次郎もまた大平山連祥院に至り、浪士田丸稲之衛門らを諭す、稲之衛門ら服せず、浪士の来集する者日々増加す。
 16 将軍徳川家茂、大阪を発して20日江戸に帰る。
水戸藩弘道館諸生ら、藩要路及び学館役員に、浮浪狂暴の徒を鎮定。
 17 横浜鎖港談判使節池田長発、河津祐邦ら、パリにてパリ約定に調印す。
 19 水戸藩士長谷川作十郎、書を在江戸の同藩士野村彜之介に送り。藩状内訌の危機に在るを告げ、速やかに攘夷を決行して藩論を一定せんことを説く。
 22 朝廷、水戸藩主徳川慶篤に、横浜鎖港の断行に尽力せしめんとす、この日、幕府、この朝旨を慶篤に伝達す。
 24 水戸藩主徳川慶篤、書を弘道館総教青山量太郎及び郡奉行らに与えて、岩船やまに集まれる徒を鎮撫せしめ、なお速やかに鎖港の実行に尽力し、聖旨に奉答すべきの意を諭示す。
 25 幕府、関東八州及び越後、信濃の領主に令し、大平山及び筑波山屯集の徒を厳重に警戒せしめ、また水戸藩に、浪士の説諭、帰家などを令す。
水戸藩城代鈴木重棟、家老朝比奈弥太郎、文武師範に諭して、藩士当主の南上を止む、翌日、弥太郎及び家老佐藤図書、同市川三左衛 門、使番渡辺半助ら、文武師範及び諸生500余人を集め、武装してこれを率い、江戸に上り、29日、駒込の藩邸に入る。
 28 水戸藩主徳川慶篤、在江戸執政武田耕雲斎、同興津蔵人、同目付山国兵部に致仕・謹慎を、同家老中山与三左衛門に謹慎を命ず。
 30 元水戸藩士田丸稲之衛門ら、その徒と大平山を下り、再び常陸国筑波山に拠り、本坊を本営となす、その徒、結城、壬生、下館の諸藩に盟約参加を勧誘し軍資提供を強要す、諸藩厳戒し、急を幕府に報ず。
水戸藩主徳川慶篤、書を家老市川三左衛門、同佐藤図書、同朝比奈弥太郎に与えて、藩士激徒の江戸府内を徘徊する者を見れば、厳にこれを逮捕せしむ。
この月 鳥取藩主池田慶徳、書を朝廷及び幕府に奉り速やかに攘夷の期日を確定し、大平山屯集の徒及び諸有志を先鋒たらしめんことを請う。
 6   1 関白二条斉敬、岡山藩主池田茂政の奏せる、大平山屯集浪士の嘆願書に対する指令に関し、右大臣徳大寺公純に計る。
水戸藩主徳川慶篤、家老市川三左衛門、同佐藤図書、同朝比奈弥太郎、同戸田銀次郎、同大久保甚五左衛門を執政に、大番頭渡辺半助を参政に任じ、執政山野辺義芸、同岡田徳至、同杉浦羔二郎をやめ、徳至、羔二郎に隠居・謹慎を命ず。
  4 水戸藩参政渡辺半助、書を故斉昭公夫人芳子に呈し、執政市川三左衛門、朝比奈弥太郎、同佐藤図書を藩地に斥けんことを請う。
  5 新撰組、京都三条の旅館池田屋を襲う。
  6 神宮大宮司及び祢宜、水戸藩士の参籠申請に関し、朝廷に上申す。
  7 五條大橋に落書して、摂海防御徳川慶喜を大奸賊と罵り、遠からず旅館に放火せんといふものあり、翌日また落書して天誅を桑円という者あり。
宇都宮藩主戸田忠恕、水戸浪士ら常陸、下野の各所に出没し掠奪するの状を報じ、討伐の命あらんことを幕府に請う。
  9 幕府、谷田部、下妻、宇都宮、壬生、結城、下館、土浦、川越、常陸府中、宍戸、足利諸藩に、常陸、下野横行の浪士討伐を、古河、関宿、館林3藩及び麾下士本多修理、同宇津鉞之助らに各領邑または代官支配地の戒厳を、また諸国関所警守の諸藩などに、長州藩随従の浪士らと筑波山屯集の党との連絡を遮断すべきを命ず。
 11 幕府、江戸府内取締酒井忠篤に野州横行浮浪の追補を免じ、専ら府下の警守に任ぜしむ、ついで15日、忠篤、凶徒捜捕に町奉行、勘定奉行の援助を請う。
幕府、高崎藩主大河内輝照、笠間藩主牧野貞明に常陸、下野横行の浪士らを打たしめ、使番小出順之助、同永見貞之丞を軍監となしこれに附す、宇都宮、土浦、壬生、結城、下館、谷田部、足利、川越、下妻、常陸府中の諸藩に令して、藩兵の進退一に軍監の指揮に従わしむ。
水戸藩主徳川慶篤、旨を前執政武田耕雲斎に下し、藩地に退帰せしむ。
 12 水戸藩士菊地三左衛門、小山田平之允、鈴木安之進ら、同志30余人と共に、前老中太田資始の邸に至りて謁を求め、資始の水戸藩の内訌を扇動し、鎖港の幕議を阻み、政事総裁職松平直克を排斥せることなどを挙げてこれを難詰す、ついで14日、水戸藩、平之允、安之進らを処罰す。
 15 幕府、関東八州代官に命じて、浮浪の徒を追補せしむ。
幕府、壬生藩主鳥居忠宝の大阪加番を免じ。浮浪を追補せしむ。
水戸藩主徳川慶篤登営、徳川家茂の親論を受け、この日、旨を執政市川三左衛門、同佐藤図書、同朝比奈弥太郎に授け、筑波山屯集激徒の鎮圧を命ず、これにつき17日、三左衛門、藩兵を率い、幕府歩・騎・砲諸隊と共に江戸を発す。
 16 幕府、野州暴徒討伐に関し、高崎藩主大河内輝照、佐倉藩主堀田正倫に命じて、水戸藩を応援せしめ、かつ笠間藩主牧野貞明の暴徒討伐の任を解く。
一橋家雇原市之進、書を岡山藩主池田茂政に出し、幕府要路の対立及び水戸藩の内訌など、鬱憤の情を訴え、茂政の鳥取藩主池田慶徳と協議して、時難を救済せんことを望む。
水戸藩士林忠五郎、江幡貞七郎ら、一橋家側用人平岡円四郎を京都千本組屋敷外に要殺す、一橋家使役過人川村恵十郎、奮戦して忠五郎及び貞七郎を殺す。
 17 水戸藩執政榊原新左衛門、同大久保甚五左衛門、家老鳥居瀬兵衛、前藩主斉昭公の遺書を奉じ、同志の士を率いて江戸に上る、また24日、執政戸田銀次郎、側用人藤田健次郎らも江戸に向かう、藩の士庶、前後南上する者相次ぐ、共に執政市川三左衛門らを排斥して藩論を挽回せんとす、三左衛門、また藩内に、前執政武田耕雲斎ら激徒の鎮圧を命ず。
 18 禁裏守衛総督徳川慶喜、書を熊本藩主細川慶順弟長岡良之助に致して、将軍徳川家茂帰東後の幕閣及び水戸藩内訌の情勢を告げ、自家の嫌疑また少なからざるを述ぶ。
岡山藩主池田茂政、書を有栖川宮熾仁親王及び禁裏守衛総督徳川慶喜に呈して、水戸藩内訌の鎮撫及び同藩論反正のために斡旋せられんことを請う、これにつき27日、親王、書を復して尽力すべきを答う。
 19 水戸藩前執政武田耕雲斎、その子彦衛門、魁介らを従え、江戸に上らんとす、21日、道路にふさがれたるにより、下総国小金駅東漸寺に止まる。
 20 関白二条斉敬、前日の朝議に基づき、右大臣徳大寺公純に、大平山屯集浪士の建白、岡山藩主池田茂政の副書及び鳥取藩主池田慶徳らの建白の処置を、禁裏守衛総督徳川慶喜に一任すべきや、また津和野藩主亀井茲監の建白を却下すべきや否やに関し、意見を問う。
 24 水戸藩主徳川慶篤、執政榊原新左衛門、同大久保甚五左衛門、家老鳥居瀬兵衛らに帰藩して藩士を鎮撫せんことを命ず。
この日、新左衛門ら、江戸を発す、たまたま水戸より大挙上府せんとする藩士らの下総国小金駅に至るに会す、すなわち藩政の改革を謀議し、諸士らは、書を藩主に上り、執政佐藤図書、同朝比奈弥太郎らを退け、また横浜鎖港を実施せんことを嘆願す。
 25 山城国山崎屯集の浪士真木保臣、長州藩士久坂玄瑞、同入江九一ら、陳情書を尾張、水戸など諸藩京都留守居に致し、上京の趣旨を陳じ斡旋を依頼す。
 26 水戸藩執政戸田銀次郎、側用人藤田健次郎、江戸に着す、翌日、執政大久保甚五左衛門、ついで28日、執政榊原新左衛門、家老鳥居瀬兵衛、また下総国小金駅より江戸藩邸に入り、銀次郎らと共に藩主徳川慶篤に謁し、意見を述ぶ、慶篤、すなわちその説を容れ、7月1日、執政佐藤図書、同朝比奈弥太郎をやむ。
 27 幕府、水戸藩に令し、下総国小金駅屯集藩士らを解散帰国せしめ、再び、下総国松戸、同市川、武蔵国中川番所の警戒を厳にし、佐倉、小見川、麻生、生実などの諸藩に命じて、利根川付近を警戒せしむ。水戸藩執政市川三左衛門、浪士討伐のため兵を率いて結城に至り、元執政武田耕雲斎らの大挙南上するを聞き、書を城代鈴木重棟に寄せて出兵を求む。
 28 幕府、令して松平直克の政事総裁退職願により、水戸藩主徳川慶篤、専ら横浜鎖港の事に任じ、しばしば登営すべきを布達す。
この月 水戸藩庁、令して党派の分立を戒む。
 7   1 朝廷、所司代松平定敬、尾張藩主徳川徳成、津藩主藤堂高猷、鳥羽藩主稲垣長明に命じ、神宮参籠の水戸浪士の取締を厳にせしむ。
羽後松山藩主酒井忠良、宮川藩主堀田正養、水戸藩士ら府下千住新宿付近に集まり、形勢不穏の聞こえあるを以て、その鎮圧に関し、予め申請する所あり。
水戸藩主徳川慶篤、大挙江戸に来たれる士庶に諭して帰藩せしむ、なお聞かずして上府する者多し。
  3 朝廷、水戸藩主徳川慶篤に政事総裁職松平直克の罷免を詰問し、さらに横浜鎖港の実現に努力すべきを命ず。
  5 所司代松平定敬、膳所藩に令し、水戸藩士と詐称して往来する者あるを以て、警戒を厳ならしむ。
  7 常野追討の幕府及び水戸藩兵、常陸国高道祖原に浪士藤田小四郎らの筑波山勢と戦う。
  8 幕府、老中井上正直、同牧野忠恭の外国掛を罷め、同水野忠精、同阿部正外を以てこれに代え、横浜鎖港のことを処理せしめ、若年寄田沼意尊の外国掛を免じて、常野追討軍総括を命ず。
幕府、大番頭堀直虎、書院番頭織田信裕、小姓組番頭井上正常らに筑波山党の討伐を命ず、さらに13日、直虎の異見あるに依り職を免じ、差控に処し、大番頭神保相徳をしてこれに代わらしむ。
結城藩、浪士追討のため常陸国黒子村に出兵す。
  9 前夜、筑波山勢、常陸国高道祖村の民家を焼き、隊を分けて下妻に向かう、この日早朝、浪士竹内百太郎、同藤田小四郎らは、追討の幕府軍本営、下妻多宝院を急襲してこれを焼き、軍監永見貞之丞らを潰走せしめ、浪士三橋金助らは、高崎藩兵を下妻雲充寺に襲ってこれを走らす。
 10 常野追討の、下妻、下館付近の幕兵ら、悉く結城に退き、下妻藩兵は、自らその陣屋を焼き、悉く江戸に逃る。
朝廷、水戸藩主徳川慶篤弟松平昭武に命じ、亡兄昭訓に継ぎ、京都守衛の任を尽くさしむ。
幕府、宇都宮、常陸府中、土浦、高崎、笠間、壬生、結城、下館、谷田部、足利、宍戸、下妻諸藩に、常野追討軍に応援を命じ、また水戸藩に命じて速やかに進撃せしむ。
 11 宍戸藩主松平頼徳、領内に浮浪の徒横行し、水戸藩応援の命を奉じ難きを、幕府に上申す。
 12 筑波山勢討伐の水戸藩執政市川三左衛門ら、下野国間々田宿に退き、江戸の藩邸に戦況を報じて増援を請う。
会津藩、筑波山勢の領内遁入を慮り、封境の守備を厳にす。
 13 幕府、勘定奉行並立田正直に、常野出征軍の糧食運輸取締及び土民撫育を命ず。
幕府、小姓組番頭逸見長昌を尾張藩に、翌日、使番金田貞之助を仙台藩に、同朽木亀六を盛岡藩に、同松野孫八郎を久保田藩に遣わし、各藩主の参府を促し、常野地方の擾乱鎮圧に出兵せしむ。
水戸藩元佐藤図書、同朝比奈弥太郎、諸生を率いて、江戸を発し、帰藩の途に就く、ついで21日、同藩参政渡辺半助また同じ。
 14 幕府、常野追討軍総括田沼意尊及び大番頭神保相徳、書院番頭織田信裕、小姓組番頭井上正常らの進発日を令す。
高崎藩、下野国小山宿駐屯の藩兵を藩地に撤退す。
関宿藩、常陸国信太郡付近に浪士横行するを以て、出兵警戒す。
神宮参籠の水戸藩士ら、満願により退去す。
在京水戸藩士酒泉彦太郎、同岩間金平、京都より岡山に至り、岡山藩主池田茂政に謁し、上京して公武の間を斡旋し、さらに17日、長州藩士らに説いて退京せしめんことを請う。
これより先、元水戸藩士根本新平、浪士須藤敬之進ら、土浦藩士五十嵐儀一らと会し、筑波山勢のために同藩の斡旋を求む、
この日、新平、敬之進、書を儀一及び同藩士藤田十五郎に寄せて回答を促す、土浦藩の議、決せず、以後折衝行わる。
 15 水戸藩執政市川三左衛門、武蔵国杉戸駅に、同藩元執政佐藤図書、同朝比奈弥太郎と会し、進退を議す、ついで、共に水戸に向かう。
 16 京都神泉町の町家に、文を掲げて、一橋家用人黒川嘉兵衛、同梅沢孫太郎、同原市之進の罪状を数えてその改悛を説き、また水戸、鳥取、岡山及び長州藩士の尊攘に臣節を尽くすべきを激励する者あり。
 19 長州藩士及び浪士ら、討伐の勅命出ずるに先んじて兵を挙げ、禁門に迫る、諸廷臣、京都守護職松平容保、所司代松平定敬、摂海防御徳川慶喜、水戸藩主徳川慶篤弟松平昭武ら在京の諸侯、相次いで参内す、警守諸兵、九門を閉ざして内外を厳守す。
幕府、水戸藩に令し、下総国小金宿に屯集の士民を退散せしむ。
 20 幕府、常野追討の下館藩兵応援のため、別手組を派遣し、使番金田貞之助、同大久保次右衛門をその目代となす。
 21 水戸藩主徳川慶篤、家老に手書を下し、南上せし士民の一半を帰藩せしむ、ついで23日、同藩士127人連署して書を藩主に奉り、奉命帰藩すべきを述べ、鎖港の功を遂げ、藩内の奸徒を斥けんことを請う。
 23 幕府、常陸府中、宇都宮、土浦、高崎、笠間、下館、結城、壬生、足利、高瀬、宍戸、下妻の12藩に、常野浮浪の徒の追討を命ず。水戸藩執政市川三左衛門、同元執政朝比奈弥太郎ら、兵を率いて水戸城に入り、城下潜伏の反対派藩士浪士らを逮捕斬殺し、また諸ロの警守を厳にして筑波山勢に備う。
 24 幕府、西国21藩に、征長の出兵を命ずる。
筑波山屯集の元水戸藩士藤田小四郎、同田丸稲之右衛門ら、攘夷に先んじて、水戸藩執政市川三左衛門らの党を討たんとす、処士権藤真卿、同下野人西岡邦之助ら60余人、水戸藩士の党争に関与するを喜ばずして営を去る。
 25 水戸藩主徳川慶篤、長州藩征討の令発せられたるを以て、特に藩士を戒む。
 26 幕府、水戸藩に令して、速やかに筑波山に集まれる元藩士らを鎮撫せしむ。
常野追討軍総括田沼意尊、征途に就き、軍令を発す。
宍戸藩主松平頼徳、書を岡山藩主池田茂政に寄せ、生父故斉昭公の遺志を継ぎ、国事に尽くさんことを求む。
在府の水戸藩士数十名、連署して、藩主徳川慶篤の藩に帰りて、士民を鎮撫せんことを建議す。
 27 水戸藩執政市川三左衛門、故斉昭公夫人貞芳院に頼りて、城代鈴木重棟の謹慎を解かんとして成らず、よって元執政朝比奈弥太郎らとはかり、命をいつわり、重棟をして政務に当たらしむ、以後その党を助け、人事異動を行う。
 30 幕府、盛岡藩主南部利剛に常陸付近浪徒鎮撫のため、率兵上府を命ず。
水戸藩主徳川慶篤、藩内鎮撫のため、支族宍戸藩主松平頼徳を水戸に派遣せんことを請う、幕府、その請を許し、頼徳に慶篤名代として水戸に赴くべきを命ず。
この月 水戸藩士野村彜之助、同長谷川作十郎とはかり、勅使の下向を仰いで、元執政武田耕雲斎を江戸に入らしめんと欲し、同藩山口徳之進を説き、上京斡旋せしむ、たまたま19日の変あり、事成らず。
 8   4 水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳、江戸を発して領内士民の鎮撫に向かう、附家老山中新左衛門、水戸藩家老榊原新左衛門、同鳥居瀬兵衛、同大久保甚五左衛門ら、前後これに従う。
  5 英、米、仏、蘭四国連合艦隊、下関海峡で長州藩砲台と交戦す。幕府、水戸藩家老大場景淑に令し、一橋家警守の在京藩兵を帰藩せしむ。
常野追討軍総括田沼意尊、古河陣中において、宇都宮藩に常陸国臼井に出兵を命ず。
麻生藩、浪士追捕のため、兵を常陸国潮来付近、ついで、同藩内富田付近に出し、功をおさむ。
  6 水戸藩主徳川慶篤、書を岡山藩主池田茂政に寄せ、茂政の長州藩に通牒すとの風評あるを警告す、茂政、弁明する所あり。
土浦藩主土屋寅直、書を幕府に致し、常野浪士を説諭し、尊王攘夷の意を汲み、横浜鎖港を断行して、人心を安堵せしむるの急要なるを説く。
黒羽藩主大関増裕、書を幕府に致し、水戸藩領下野国大山田村付近に、浪士数百人屯集の聞あるを以て、同須賀川村、同須佐木村に出兵せるを上申す。
  7 幕府、筑波山党潮来付近に屯集するを以て、佐倉、高崎二藩に命じ、下総国佐原に出兵せしむ。
  8 水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳、常陸国片倉駅に至る、下総国小金付近に屯集せる水戸藩士民数千人、これに属す、元執政武田耕雲斎、元目付山国兵部らも、またひそかに従う。
  9 常野追討軍総括田沼意尊、福島、宇都宮、壬生、下館、土浦、二本松、笠間諸藩に筑波山進撃を令す、ついで、諸藩兵、進んで常陸国臼井、沼田、田中などに至る。
 10 水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳、兵を率いて水戸城下に至る、執政市川三左衛門ら、城の兵備を厳にし、頼徳のみはこれを迎え、随員は入城を拒まんとす、たまたま城兵、頼徳の先衛を砲撃し、遂に戦いを開く。
 11 幕府、鴻池善右衛門、加島屋作兵衛、その他京阪の豪商ら14名に献金を命ず。
 12 水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳、執政市川三左衛門ら入城を拒むにより、擾乱となるを憂い、常陸国那珂湊に移りて策をたてんとし、水戸城外台町を発す、三左衛門らの兵、諸所に頼徳をはばむ、頼徳、すなわちこれを破り、磯浜に進み、祝町願入寺に拠れる水戸城兵と戦って、これを那珂湊に走らす、以後、那珂川を挟んで数日対戦す。
 13 将軍徳川家茂、小姓加藤十太夫、小納戸頭取戸田三郎兵衛らを、常野追討軍総括田沼意尊の陣営に遣わして、慰問せしむ。
 15 水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳、那珂湊の水戸城兵を襲撃するに決し、水戸藩参政三木左太夫、同社寺奉行加藤八郎太夫を江戸に遣わし、情状を藩主徳川慶篤に上申せしむ。
 16 水戸藩城代鈴木重棟、執政市川三左衛門ら政権を握り、家老戸田銀次郎、同尾崎豊後、同大森多膳をやめ、元執政佐藤図書、同朝比奈弥太郎を再び家老となす。
早朝、水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳の麾下武田耕雲斎、同魁介ら、那珂湊の市川党の兵を襲う、元水戸藩士藤田小四郎、飯田軍蔵らも、また藩要路を退けんとし、常陸国小川より来りて耕雲斎らを援く、市川党の兵、ために水戸に逃走す。
 17 水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳、戦況を水戸藩助川領主山野辺義芸に報じ、人心の鎮定、奸徒の処置に協力せんことを求む。
水戸藩家老榊原新左衛門ら、在江戸附家老中山信徴らに、藩主徳川慶篤名代松平頼徳下向後の情勢を報じ、苦衷を述ぶ。
 19 水戸藩主徳川慶篤、使者を以て天機を伺う。
 20 幕府、水戸藩主徳川慶篤の請を容れ、水戸、守山、常陸府中三藩士の下総国松戸、同市川、同房川戸関所及び武蔵国中川、同逆井、同千住番所通行を厳に警戒せしむ。
水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳、水戸藩家老榊原新左衛門、同大久保甚五左衛門、同鳥居瀬兵衛らを率いて那珂湊より水戸神勢館に至り、従士飯田総蔵を遣わし、執政市川三左衛門らを諭して入城せんとす、三左衛門ら、総蔵を拘留し、戦備を整え、入城を拒む、ついに22日、両軍開戦す、幕府の浪士追討軍、また来り城兵を助け、激戦数日にわたる。
 21 将軍徳川家茂、長州藩討伐のため進発せんとするを以て、水戸藩主徳川慶篤、忍藩主松平忠誠、姫路藩主酒井忠績に留守を命ず。
水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳、神勢館における開戦を水戸藩元執政山野辺義芸に報じ、その来援を求む。
 22 常野追討軍の先鋒壬生藩兵ら、筑波山を攻略す。
水戸藩執政市川三左衛門ら、書を元執政武田耕雲斎に致して、先日来の行動を責め、自決を促す。
 23 常野追討軍総括田沼意尊、下妻藩に糧食、夫役及び兵火により罹災の保証金を支給す。
 24 水戸藩染谷村など53箇村に、年貢全免などを要求する不穏なる動きあり。
 25 常野追討軍総括田沼意尊、諸兵を従えて笠間に陣し、筑波山勢に備え、大番頭神保相徳らをして兵を率いて水戸に入らしむ、ついで、相徳、二本松、壬生、宇都宮などの諸藩兵と共に、水戸城兵を助けて、水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳らの兵と神勢館に戦い、互いに勝敗あり、29日、頼徳、水戸藩元執政武田耕雲斎らと議し、再び那珂湊に退き、再挙をはかる。
 26 水戸藩主徳川慶篤、直書を重臣らに与え、朋党を戒め、各其職を守るべきを諭す。
 27 前越前藩主松平慶永、書を前土佐藩主山内豊信及び福岡藩世子黒田慶賛に寄せ、横浜鎖港談判の経過、同使節池田長発らの処罰、筑波山勢征伐の情状及び前尾張藩主徳川慶勝征長総督の辞任、本藩主茂昭の上京などを報ず。
水戸藩領常陸国鯉淵村など30余村の農兵3000余人、同小鶴村、同長岡村などに筑波山勢を襲い、これを走らす。
 28 水戸藩執政市川三左衛門ら、藩士武田耕雲斎、同山国兵部、元藩士田丸稲之衛門らの家族を獄に投じ、その邸宅を没収す。
この月 朝廷、尾張、紀伊、水戸、会津、桑名、越前の諸藩に令して、京都内外を警守せしむ。
水戸藩、藩主徳川慶篤名代松平頼徳に随従の藩士らに諭して、解散せしむ。
常野追討軍の諸兵、各所において筑波山勢と戦う。
常陸国内各村、武装して筑波浪士並びに尊攘派に対する自衛をはかる。
 9   1 幕府参勤交代、諸大名妻子在府制度を文久2年以前に復旧することを命ず。
水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳、那珂湊及び附近の要地に兵を部署して、水戸藩執政市川三左衛門らの来襲に備う、すなわち水戸藩家老榊原新左衛門を軍事総督、藩士三木左太夫、同白井忠左衛門、同富田三保之介を軍事奉行となし、軍を先・中・後の三陣に分かち、本営を日和山に置く、前後して、藩士武田正生(耕雲斎)別隊を率いて館山に拠り、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら元藩士の党は、平磯に屯す。(綱要)
  4 水戸城兵、平磯の敵営を砲撃す、浪士藤田小四郎、同飯田軍蔵、同林五郎三朗ら、平磯を発して北郡に向い、城兵を牽制す。(綱要)
  5 幕府歩兵隊及び佐倉、麻生、小見川などの藩兵、鹿島、潮来地方の浪士を砲撃し、翌日、進んで常陸国大船津に迫る、浪士ら、多くここに死し、元水戸藩士塙又三郎、同立花辰之介ら、囲を破て逃走す。(綱要)
浪士藤田小四郎、林五郎三郎ら、常陸国額田の水戸城兵を破り、これを占領す、同国分新太、井田平三郎、浅倉源太郎ら、進んで水戸城兵及び二本松藩兵と同河合の渡口に戦う、夕刻、勝敗決せず、新太ら、額田に赴く。(綱要)
浪士大津彦之允、同油田敬之介、同黒沢亀太郎ら、助川の囲みを破りて常陸国長倉に向かう、道路ふさがれ、彦之允ら、同島村に戦死す、ついで助川領主山野辺義芸、陣屋を出でて、二本松藩兵に降る。(綱要)
  6 常野追討軍総括田沼意尊、烏山藩主大久保忠美に、助川辺逋亡に備うるため、領内の厳備を命ず。(綱要)
  7 幕府、軍艦奉行木下謹吾に、軍艦を発して常陸、下総の東南海上を巡視して、常野浪士の脱出を監視し、かつ住民の航海を禁止せしむ、この日、旨を沿海諸藩に達す。(綱要)
常野追討軍総括田沼意尊、棚倉藩に命じ、助川脱出の浪士に備えしむ。(綱要)
水戸城部将筧助太夫、兵数百人を率い、宇都宮、壬生両藩兵と共に額田に進む、浪士林五郎三郎、同中村親之介、同飯田軍蔵ら、邀撃し大いにこれを破る。(綱要)
  9 常野追討軍総括田沼意尊、佐倉藩に潮来出兵を命ず、ついで13日、同藩、出兵の遅れたる事に関し弁明す。(綱要)
浪士林五郎三郎、同藤田小四郎、同飯田軍蔵ら、常陸国額田を発して同田彦に至り、宇都宮藩兵を破る、翌日、五郎三郎は祝町に、軍蔵及び小四郎は平磯に帰陣す。(綱要)
 11 幕府、関東陸奥地方に令して、厳に常陸、下野逋亡の徒を追捕せしむ、ついで13日、その罪状明らかなるものは、直ちに処断するを許す。(綱要)
 12 浪士跡部小藤太、父武田正生の意をうけ、朝廷に奏する所あらんとし、那珂湊を出て潜行す、この日、常陸国飯田村において、土兵のために囲まれ、福相院に入りて自刃す、同杉山安太郎は笠間に捕らえられ、太宰清衛門は常陸国宍倉村に切腹す。(綱要)
 14 幕府監軍高木宮内、常陸国塩ケ崎に、同監軍代日根野藤之助、歩兵隊を率いて同中根に、水戸藩執政市川三左衛門、同部田野に、幕府監軍戸田五助、同夏海に進み、鹿島地方より北上せる棚倉、佐倉の藩兵と共に、那珂湊を包囲す。(綱要)
 16 水戸藩庁、浪士立原朴二郎、田原道綱、梅沢鐵次郎、大津彦之允及び川俣茂七郎らの首を梟し、同村樫易王丸、昌木晴男、江口半兵衛、今瀬伊織らを磔刑に処す。(綱要)
浪士林五郎三郎、井田平三郎、朝倉源太郎ら、同士(潮来勢)を率い、幕府軍を常陸国大場村に破る、ついで五郎三郎ら、退いて同島田、同大貫附近に交戦し、涸沼川を挟んで対峙す。(綱要)
 17 水戸藩、浪士追討諸陣営に令して、助川附近屯集の徒の警戒を厳にす。(綱要)
目付戸田五郎の率いる幕府軍、高崎、佐倉、棚倉三藩の兵と共に、夏海を発して大貫に迫り、ついで、磯浜に向かう、浪士林五郎三郎ら、拒戦す、幕府の軍艦、また常陸国大洗の海岸を巡視す、中根口の幕府歩兵隊、水戸藩執政市川三左衛門の兵と共に、同部田野原、同前浜を攻撃す。(綱要)
 18 幕府歩兵頭並北条新太郎、持筒組頭深津弥左衛門、作事奉行岡部長常ら、水戸藩執政市川三左衛門の兵を先鋒とし、部田野原を経て平磯口に迫り、浪士藤田小四郎、同飯田軍蔵らを鳥塚に破り、六軒家を焼く、那珂湊屯集の浪士浅田富之允、村田理介の兵、三左衛門の兵を横撃してこれを走らす、たまたま期に後れて至れる壬生藩兵、また苦戦潰走す、幕府軍の一隊、柳沢口より峰山を砲撃す、夜に入り、浪士大胡聿蔵の兵、これを襲いて破る。(綱要)
常野追討軍総括田沼意尊、磐城平藩に命じて常陸国手綱附近に兵を出し、助川脱出の浪士を捕らえしむ。(綱要)
 19 夏海の幕府軍、棚倉、高崎、佐倉藩兵らと共に、大貫に進み、磯浜に迫る、浪士林五郎三郎、井田平三郎、朝倉源太郎、国分新太ら、常陸国川又口を守り、同藤山の敵を迎撃し、五郎三郎死す。(綱要)
この夜、浪士真木景嗣、栗田八郎兵衛ら、那珂川を渡りて常陸国小泉の幕府軍を破り、浪士谷鉄蔵の兵、常陸国柳沢水車場より同福平の幕府軍を襲う。(綱要)
 20 大貫口の幕府軍、磯浜に迫り、火を放つ、浪士井田平三郎、朝倉源太郎ら、迎撃してこれを走らす。(綱要)
 21 浪士井田平三郎、朝倉源太郎ら、大貫の幕府陣営を襲いてこれを破る。(綱要)
 22 幕府軍、大挙して、磯浜を襲い、火を市街に放つ、浪士井田平三郎、朝倉源太郎ら、奮闘これに当たるも、ついに敗退す。(綱要)
那珂川以南の地、悉く幕府軍に帰す。(綱要)
 25 常野追討軍総括田沼意尊、笠間より水戸に進み、本営を弘道館に置く。(綱要)
中根口の浪士追討軍、兵を分って、水戸藩執政市川三左衛門の隊は磯前より、壬生藩兵、幕府歩兵頭並北条新太郎の兵及び作事奉行岡部長常らの諸隊は部田野より、共に平磯を攻む、磯前口の守将三橋金助寡兵敵せずして退き、浪士藤田小四郎ら、壬生藩兵を邀撃し、砲戦す、時に追討軍、北風に乗じて平磯を焼き、遂にこれを陥れる、守将田丸稲之衛門ら、神輿を奉じて那珂湊に移る、那珂湊の将谷鉄蔵、井田平三郎ら、出て部田野の追討軍を挟撃してこれを退く。(綱要)
 26 水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳、元水戸藩家老鳥居清兵衛、同大久保甚五左衛門及び従士30余人を従え、那珂湊を発して夏海の幕府軍営に赴き、幕府監軍戸田五助に会見し、共に江戸に至らんことを約す。(綱要)
 27 常野追討軍総括田沼意尊、水戸藩主徳川慶篤名代松平頼徳、元水戸藩家老鳥居清兵衛、同大久保甚五左衛門らを水戸に召喚し、下市町会所に投ず、翌日、更に頼徳を水戸藩支族松平万次郎の邸に禁固し、其の家士及び従衛士を悉く水戸城中に拘禁す、頼徳家士小幡友七郎ら七人、主難を救う事能わざるを以て、自刃す。(綱要)
 28 幕府、常野浪士追捕のため、軍艦黒龍丸を派遣するを諸藩に達し、海陸協力して攻撃せしむ。(綱要)
 29 水戸藩、常野追討軍総括田沼意尊の命に依り、藩主徳川慶篤名代松平頼徳に随従せる藩士鳥居清兵衛、同大久保甚五左衛門らを獄に下し、或いは慎を命ず。(綱要)
 30 塙代官安井仲平、浪士元水戸藩士高橋幸之介を捕らう、ついで10月3日、これを斬に処す。(綱要)
この月 水戸藩、浪士田丸稲之衛門らに与せし元執政武田正生(耕雲斎)らの俸禄を止む。(綱要)
10   1 幕府、宍戸藩主松平頼徳及び父頼位の官位を奪い、頼位を羽前新庄藩邸に、藩士40余人を高松藩邸に御預となし、その江戸藩邸を没収し、守山、常陸府中二藩兵をして監守せしむ。(綱要)
幕府及び諸藩の兵、常陸国岩船山、同柳沢等より、那珂湊の寅賓閣、反射炉、峰山などを砲撃す、湊屯集の主将榊原新左衛門、書を幕府軍に致し、止戦中違約なるをなじる。(綱要)
  3 常野追討軍総括田沼意尊、忍藩に命じ、那珂湊攻撃の佐倉藩兵を応援せしむ。(綱要)
  4 常野追討軍総括田沼意尊、小姓組与頭高山安左衛門の軍務怠慢を責めて、小普請入逼塞を命ず、ついで6日、歩兵頭並北条新太郎、同差図役頭取勤方香山栄左衛門に命ずる所また同じ。(綱要)
  5 幕府、宍戸藩主松平頼徳に死を賜う、ついで16日、水戸藩、また頼徳に随従せる元水戸藩士鳥居瀬兵衛、同大久保甚五左衛門、同山中新左衛門、同丹羽恵介ら17人及び宍戸藩士菊地荘介ら20余人を斬に処す。(綱要)
幕府及び諸藩兵、大挙陸海より那珂湊を包囲し、佐倉藩兵、岩船山より、幕府目付小出順之助の手兵、小泉村より、幕艦黒龍丸は、海上より、悉く寅賓閣、和田台場及び反射炉等を砲撃し、書院番頭織田信裕、水戸藩執政市川三左衛門の兵及び福島藩兵、部田野より、大番頭新保相徳、柳沢口より並び進み、共に峰山に廻り、ついにこれをおとす。(綱要)
  8 在京薩摩藩士西郷吉之助、書を在藩の大久保一蔵に致し、萩藩征討、水戸藩党争の情勢及び幕府の対外措置を報じ、所見を告ぐ。(綱要)
  9 常野追討軍総括田沼意尊、水戸の本営を発し、柳沢、塩ヶ崎の諸陣を巡視す。(綱要)
幕府軍、部田野を攻略せんとし、小姓組頭井上正常を総押となし、福島藩兵を常陸国一本松、同前浜口に、壬生藩兵を同館山口に、水戸藩執政市川三左衛門手兵を同明神山方面に、宇都宮藩兵を同馬渡口に、新発田藩兵を同和田台場に、書院番頭織田信裕手兵を同雲雀塚に並び進ましめ、翌日、大挙進撃す、浪士井田平三郎、朝倉源太郎ら、潮来より、同武田正生、館山より、同富田三保之介、湊より、同村田理介ら、稲荷山より来たりて部田野軍総帥田丸稲之衛門を助く、浪士藤田小四郎、飯田軍蔵、また前浜より来り会し、大いに幕府軍を敗る、ついで幕府軍、包囲の策に出ず。
 11 那珂湊屯集の元水戸藩家老榊原新左衛門、書を幕府目付戸田五助及び福島藩兵の陣営に致し、水戸藩執政市原三左衛門の奸謀を告げ、幕府軍に抗戦するの意なきを述ぶ、新左衛門、また同志鮎沢伊大夫、同三木左太夫らの諸将と軍議す、伊大夫ら、那珂湊の地勢拠守に便ならず、糧食また窮乏するを以て、北部に転陣せんことを唱う、新左衛門ら、これを不可とし、議決せず。(綱要)
 13 水戸藩、藩士小池安之允ら36人の浪士軍に加わりしを罰し、居屋敷等を没収す。(綱要)
 14 幕府、小浜、高遠、飯山、岩村田、椎谷その他甲斐、信濃及び中山道に領地ある諸藩に令し、常野浪士遁走の聞あるを以て、これが討伐を命ず。(綱要)
 17 幕府軍、再び那珂湊を攻む、すなわち中根口の幕府軍及び水戸藩執政市川三左衛門らの諸隊、部田野に出で、稲荷山及び館山に向かう、明神山守備の浪士勢及び新田口守備の浪士浅田富之允、村田理介、新井源八郎らの諸隊、これを稲荷山に迎え、館山屯集の浪士武田正生の兵、また出でて戦う、幕府軍の別部隊、六軒家附近に軍し、その一部隊は一本松より砲撃す、浪士三木左太夫、真木彦之進ら、新田口より、同富田三保之介は、雲雀塚の西方より、稲荷山の浪士藤田小四郎、飯田軍蔵らは、平磯口より、潮来屯集の浪士は、雲雀塚方面より、共に一本松の幕府軍を邀撃し、大いに之を敗る、幕府軍、巨砲、戎器を遺棄して退く。(綱要)
 18 幕府軍、精鋭を挙げて、中根口より部田野に進み、其の先鋒、雲雀塚より明神山等に迫る、浪士田丸稲之衛門ら、平塚口に出陣し、同飯田軍蔵、藤田小四郎及び潮来勢、防戦す、新田口の浪士浅田富之允及び中軍富田三保之介の兵、また雲雀塚方面より応戦して苦戦す、既にして、柳沢口の浪士谷鉄蔵の兵、来援するに及び、形勢を挽回し、終に幕府軍を破る、以後交戦数日に及ぶ。(綱要)
 23 幕府軍、大挙那珂湊を攻撃す、磯浜口の幕府歩兵及び佐倉、高崎二藩の兵、ひとしく進んで湊に入る、守将榊原新左衛門、谷鉄蔵、村田理介、新井源八郎以下一千余人、前約に従い、幕府軍に投降す、浪士武田正生、山国兵部の隊及び田丸稲之衛門、藤田小四郎の筑波勢等諸隊、館山の営を発し、同三木左太夫、鮎沢伊大夫、浅田富之允らの諸隊及び井田平三郎、朝倉源太郎らの潮来勢、また相共に西北に走る、幕府軍館山及び筑波山勢、潮来勢等の諸営を焼き、新左衛門らを銭座に移し、佐倉兵をして、これを警守せしむ、ついで26日、これを塩崎村長福寺に移す。
 25 浪士武田正生(耕雲斎)、田丸稲之衛門、藤田小四郎、井田平三郎ら、那珂湊を退き、所在に追討軍及び農兵と接しながら、この日、常陸国大子村に入り、陣営を置く、翌日、正生ら相はかり、京都に赴き、禁裏守衛総督徳川慶喜に頼りて、素志を述べんと欲し、西上に決す、また軍令を定む、衆議、正生を総大将に推し、筑波山勢を天勇、虎勇、竜勇の三隊となし、稲之衛門これを率い、潮来勢を正武、義勇の二隊となし、平三郎これを率う、追討軍、来襲し、数日防戦す。(綱要)
 28 水戸藩、家老岡部忠蔵に揚屋入を命ず。(綱要)
 29 幕府、那珂湊の降人榊原新左衛門ら466人を佐倉藩に、同村田理介ら436人を高崎藩に、その余野254人はこれを関宿藩に分預す、(佐倉藩預人は11付き2日、下総佐原に、高崎・関宿両藩預人は何れも同5日、各下総銚子及び関宿に移さる)、ついで大目付田沢政路、目付小俣景行、これを訊問す、(訊問12月に亘る)訊問終わりて後、これを前三藩及び古河、忍、福島、大多喜、一の宮、安房勝山、鶴牧、長瀞、川越、久留里、館山、佐貫、高岡、西大平、飯野、請西、結城、岩槻、生実の22藩に分預す(榊原新左衛門ら百余人は12月11日、古河藩に引渡さる、22藩分預の発令は11月15日にあり、その後預かるべき藩に多少の移動あれども、分預は訊問終了後実施せられたるをもって、其の際の藩名を掲ぐ)(綱要)
水戸藩士原市之進(後、徳川慶喜の家臣となる)、長谷川作十郎、梅沢孫太郎、野村彝之介ら、書を岡山藩主池田茂政に呈し、藩地の争乱を述べ、救済せんことを請う、ついで11月5日、同じく鳥取藩主池田慶徳に請う。(綱要)
11   1 浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら、同勢800余人、常陸国大子を発し、野洲路に出ず、この夜、下野国川上に泊し翌日、同川原に至る、黒羽藩兵、路を遮る、正生ら此れを邀撃し、西上の趣旨を述べ、通過を請うも許されず、依って道を北に転じて奥州路に向かう。(綱要)
  3 浪士武田正生、同田丸稲之衛門、同藤田小四郎ら、下野国伊王野、同芦野を経て、同越堀に泊り、この夜、大田原藩主大田原勝清、使者を以て、城下の通過を拒み、間道を指示す、依って正生ら、翌日、同高久に泊る。(綱要)
  4 浪士元水戸藩士塙又三郎ら12人、下総国岩井に於いて、斬に処せらる。(綱要)
  5 浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら、高久を発し、下野国那須野原を過ぎ、同石上を経、夜を徹して同矢板に出で、翌日、鬼怒川を渡って同小林に至る。(綱要)
  6 常野追討軍総括田沼意尊、浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら追討のため、水戸を発す、以後、常陸笠間、下野宇都宮、同小山、上野坂本、武蔵熊谷、同大宮、同八王子、甲府、信濃下諏訪、美濃中津川等を経て、12月27日、美濃関ヶ原に泊す。(綱要)
  7 水戸藩、幕府の命により、元家老山野辺義芸、同岡田徳至、同白井久胤、同武田正生の官位を奪う。(綱要)
浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら、下野国小林を発し、同徳次郎駅に出で、同大谷村を経て、同鹿沼に至る、翌日、大柿に泊し、ついで、葛生、梁田を経て、11日、太田に至る。(綱要)
  9 幕府、常野浮浪の徒、下野国日光附近に徘徊するを以て、老中本荘宗秀、若年寄土岐頼之を派遣し、警備の状を視察せしむ。(綱要)
 12 常野追討軍総括田沼意尊、伊勢崎、前橋、矢田、高崎、館林、安中、小幡、七日市、麻生、忍諸藩に令し、浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎らの徒の上野、武蔵両国に侵入する者を討たしむ。(綱要)
 13 幕府、尾張、三河、伊勢、遠江、若狭、飛騨、伊賀、越後、下総に領邑を有する諸侯らに令し、常野逃亡の浪士を捕斬せしめ、また越前、美濃、甲斐、信濃、遠海、駿河、相模、武蔵、上野、下野に所領ある者に、浪士武田正生らの追討を命ず。(綱要)
浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら、太田を発し、上野国木崎、同平塚を経て、利根川に至る、岡部藩主安部信發、藩兵を出して拒戦す、正生ら、河を渡り、これを撃破して武蔵国中瀬に出で、岡部城下に迫る、已にして道をかえ、同本庄に至る。(綱要)
 14 浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら本庄を発し、上野国藤岡を経て、吉井に泊す、翌日、同富岡を経て、下仁田に至る。(綱要)
長州藩、三家老の首級を征長総督に呈す。
 15 幕府、丸岡藩主有馬道純の邸地を上地し、故宍戸藩主松平頼徳上地を代地として賜う。(綱要)
これより先9日、常野追討軍総括田沼意尊、川崎藩主松平直克に、浪士武田正生ら討伐のために出兵を命ず、この日、同藩、兵を武蔵国越生、下野国今市、武蔵国八王子に出す、ついで、正生ら已に藤岡方面に至るを以て、16日、上野国境、武蔵国小川方面に派兵し、更に18日、正生ら下仁田附近に屯集せるにより、前橋、下仁田方面に派兵す。(綱要)
 16 高崎藩主大河内輝照、書を幕府に上り、那珂湊降伏人監守の失費多く、かつ警守人少なくして不安なるを以て、速やかにこれが処置あらんことを請う。(綱要)
早朝、高崎藩兵、下仁田の東北上野国小坂峠に陣せる浪士武田正生らの行営を襲う、正生らこれを撃破して、同本宿に至り、翌日、上野信濃国同境内山峠の嶮を越えて信濃に入り、信濃国平賀に泊す、ついで、同野沢、八幡を経て、18日、同望月に泊し、翌日、同長久保より同和田に至る。(綱要)
 19 朝廷、身と藩主徳川慶篤弟松平昭武の京都警衛の功を賞し、昭武を従五位下に叙す。(綱要)
 20 浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら、和田を発し、信濃国小県、同諏訪郡境和田峠を越えて信濃国樋橋に至り、高島、松本二藩兵の道を防備するを撃退し、同下諏訪にいたる。(綱要)
 21 幕府、所司代松平定敬に、浪士武田正生らの西上を報じ、京地の警守に備えしむ、ついで25日、京都守護職松平容保に達する所また同じ。(綱要)
幕府、大垣藩主戸田氏彬に命じて、浪士武田正生らの西上に備えしむ。(綱要)
幕府、浪士武田正生ら甲斐に入らんとするの聞あるを以て、講武所奉行飯田藩主堀親義、若年寄本多忠紀に命じ、甲斐に赴き、警備に当たらしむ、ついで24日、親義を止めて、其の藩地の取締に従わしむ。(綱要)
矢田藩主吉井信發、幕府に、浪士武田正生らの領内通過を阻止し得ざりし事情を述べて、進退を伺う。(綱要)
浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら下諏訪を発し、平賀を経て、伊那谷に入り、信濃国松島に泊し、翌日、同上穂に宿し、ついで23日、同片桐を経て24日、同駒場に至る。(綱要)
 24 幕府、中山道の馬篭、太田間各駅に令して、浪士武田正生ら通行の際、これに食料を給することを禁ず。(綱要)
 25 常野追討軍総括田沼意尊、川越藩主松平直克に命じて、浪士追討の藩兵を撤退せしむ。(綱要)
白河藩主阿部正外、浪士武田正生ら追討のため、藩兵を信濃方面に出す。(綱要)
尾張藩、浪士武田正生ら西上の聞あるを以て、その侵入に備うべきを令す。(綱要)
浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら駒場を発し、道を転じて、信濃国那須野嶺を越え、同上清内路に至り、翌日、中山道に出で、同妻篭、同馬篭より美濃に入り、美濃国落合、中津川を経て、27日、同大井に泊し、28日、同御岳に至る。(綱要)
 26 常野追討軍総括田沼意尊、壬生藩主鳥居忠宝に命じて、下野国太平山野警守を撤せしむ。(綱要)
 27 所司代松平定敬、浪士武田正生ら西上の聞あるを以て、山崎警守の大垣藩主戸田氏彬、小田原藩主大久保忠礼に令し、警備を厳にせしむ、氏彬、領内警備の命あるにより、山崎警守を免ぜられんことを請い、これを許さる。(綱要)
尾張藩、浪士武田正生ら警備のため、大垣藩に応援を求む、大垣藩、之に応じて、美濃国河渡方面に兵を出す。(綱要)
 28 幕府、江戸芝増上寺に於いて、常野浪士追討軍戦死者のために仏事を営むべきを令す。(綱要)
 29 所司代松平定敬、浪士武田正生らの西上阻止のため、津藩主藤堂高猷に東海道方面に出兵を命ず。(綱要)
飯田藩主堀親義、浪士武田正生らの清内路通過の状を幕府に報ず、ついで12月24日、幕府、親義の清内路関門の警備を止め、講武所奉行を免じ、封二千石を削り、逼塞を命ず。(綱要)
浪士武田正生、同田丸稲之衛門、同藤田小四郎ら御岳を発し、木曽川を渡り、美濃国太田を経て同鵜沼に至る、彦根、大垣藩兵らに前路をさえぎらる、依って翌日、北転して、間道を同芥見に取り、同天王に泊し、ついで12月1日、高木を出で、小林を経、糸貫川を渡って、同揖斐に至る。(綱要)
 30 幕府、浪士武田正生ら、西上の聞あるを以て、膳所藩主本多康穣、岡藩主中川久昭の遠ヶ辻警守を免じて、康穣には専ら自領の警戒に当たらしめ、久昭には稲荷山宝塔寺門前を警戒せしめ、ついで12月6日、仙洞御所築地警守の講武所奉行をしてこれに代わらしむ、12月10日、講武所奉行の警守を元に復し、白河藩主阿部正外を以て、猿ヶ辻を警守せしむ。(綱要)
これより先、禁裏守衛総督徳川慶喜、書を上り、浪士武田正生ら西上、京都に迫らんとするの聞あるを以て、出でて鎮定に当たらんことを請う、よって、朝議、これを許し、慶喜及び水戸藩主徳川慶篤弟松平昭武に出征せしむ。(綱要)
この月 常野浪士追討軍、榜示して、浪士武田正生、同田丸稲之衛門の首級を求む、その持参者は同類たりともこれを許す。(綱要)
12   1 京都守護職松平容保、所司代松平定敬に命じ、禁裏守衛総督徳川慶喜、浪士武田正生ら鎮撫のため出陣すべきを以て、その留守中京都を戒厳し、かつ少数の藩兵を慶喜に随従せしむ、また水戸藩主徳川慶篤弟松平昭武に、出陣して慶喜の指揮を受けしむ。(綱要)
  2 浪士武田正生らの入京に備えんがため、所司代松平定敬、諸藩に京都出兵を命じ、また在京諸藩兵をして洛中、洛外を警戒せしむ。(綱要)
川越藩主松平直克、浪士武田正生ら追討のため、武蔵国八王子旁禁近に派遣せる藩兵を撤退す。(綱要)
浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら、揖斐を発し、道を谷汲街道に転じ、美濃路より越前に赴かんとし、美濃国金原より、同日当に出ず、翌日、山道を登り、同長嶺に至り、4日、同大河原に泊し、5日、美濃、越前国境蠅帽子峠に至る、同日、積雪道を埋め、越前国黒当戸に於いて雪中に露営す。(綱要)
  3 幕府、浪士武田正生らの甲斐、信濃より東海道に向わんとするの風聞あるを以て、沼津藩主水野忠誠、小田原藩主大久保忠礼、浜松藩主井上正直、掛川藩主太田資美らに命じ、各領邑を警守せしむ。(綱要)
禁裏守衛総督徳川慶喜、浪士武田正生ら鎮定のため、兵を率いて京都を発し、近江国大津に滞陣す、翌日、水戸藩主徳川慶篤弟松平昭武、また在京水戸藩兵を従えて大津に宿し、金沢、福岡、小田原、大溝、尾張、大垣、彦根、小浜、大野、鯖江、津、敦賀、丸岡、膳所、仁正寺、郡山、白河、加納、小泉、宮津、大聖寺などの諸藩、前後出兵して備うる所あり。(綱要)
彦根藩主井伊直憲、美濃国美江寺及び同垂井に、大垣藩主戸田氏彬、同本田に、各藩兵を出して浪士武田正生らに備えしことを、幕府に上申す。(綱要)
  5 幕府、浪士武田正生ら越前路に向うに依り、越前藩主松平茂昭に領内警戒を令す、ついで10日、前越前藩主松平慶永、兵を率いて福井を発し、12日、越前国府中に至る。(綱要)
  6 浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら、黒当戸を発し、越前国笹俣峠を越えて、同大本村に達し、翌日、同法慶寺に泊し、ついで8日、同谷口を経、同東俣を越えて、9日、同小倉谷に出で、10日、同北陸道今庄駅に至る、附近の諸藩兵、各軽微に就く。(綱要)
  7 鯖江藩主間部詮道、浪士武田正生ら警備のため、山城国伏見、同宇治橋警守を免ぜられんことを請う、次いで9日、宇治橋の警守を免ぜらる、ついで13日、西丸、大手門警備を免ぜんことを請う、後また前請を上申す。(綱要)
加納藩主永井尚服、浪士武田正生ら警備の為出兵し、また大垣藩に援兵を求めんとする事情等を幕府に上申す。(綱要)
  8 幕府、忍藩主松平忠誠、一宮藩主加納久恒、古河藩主土井利則、安房勝山藩主酒井忠美、福島藩主板倉勝顕、長瀞藩主米津政明、大多喜藩主大河内正質、鶴牧藩主水野忠順に那珂湊降伏者の御預替を命ず。(綱要)
大津在陣の禁裏守衛総督徳川慶喜、大垣藩主戸田氏彬に命じ、琵琶湖の東岸より越前路に出兵せしむ。(綱要)
水戸藩主徳川慶篤、附家老中山信徴に命じて、幕府に藩内不取締の罪を謝し、進退を伺わしめ、また藩内に令して謹慎せしむ。(綱要)
 10 鳥取藩主池田慶徳、同族水戸藩紛擾に依りその進退を幕府に伺う、幕府、萩藩征討出陣中なるを以てこれを問わず。(綱要)
大垣藩主戸田氏彬、浪士武田正生ら追討に出兵中なるを以て、明年の京都三箇月詰警守の期間を変更せんことを幕府に請う、許されず。(綱要)
川越藩、下総国銚子に禁囚せられたる、那珂湊降伏元水戸藩士岡崎太左衛門以下230名を、高崎藩より受領す。(綱要)
これより先3日、金澤藩士永井甚七郎、同赤井伝右衛門、同不破亮三郎、在京の兵を率いて、京都を発し、9日、越前国敦賀を経てこの日、同葉原に至る、浪士武田正生ら、書を金沢藩兵の敦賀陣営に致し、通路を開かんことを請う、ついで、12日、甚七郎ら、書を復してこれを拒む。(綱要)
 11 禁裏守衛総督徳川慶喜、浪士武田正生ら今庄旁近に屯集するの聞あるを以て、追討諸藩兵に進撃奮戦を令す。(綱要)
浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら、今庄を発し、越前国木ノ芽峠を越え、同新保に至る。(綱要)
 12 これより先、水戸藩主徳川慶篤に藩内紛擾を責めてこれを致仕せしめ、弟昭武をして後を承けしめんととの議行わる、よって、禁裏守衛総督徳川慶喜、関白二条斉敬に暫く猶予千古とを請う、翌日、朝議、これを容る。(綱要)
浪士武田正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら、同志元水戸藩士滝平主殿、同根本信平を金沢藩隊長永原甚七郎らの陣に遣わし、嘆願書及び始末書を禁裏守衛総督徳川慶喜に伝達せんことを請う、翌日、甚七郎、これを慶喜に致す、慶喜、これを却け、出征諸藩に令し、17日を期して進撃せしむ。(綱要)
 13 幕府、浪士武田正生ら若狭路に入るの聞あるを以て、小浜藩主酒井忠氏の山崎警守をやめて、領内の警備に当たらしめ、姫路藩主酒井忠績をして山崎を守らしむ。(綱要)
英国代理公使ウィンチェスター、書を幕府に致し、盛岡藩領海岸及び常陸国波崎浦海岸に於ける同国難破船救助に対し、盛岡藩主南部利剛及び勤仕並寄合松下大学に謝意を表す。(綱要)
水戸藩、元執政山野辺義芸を家名断絶・永預に、同白井伊豆を隠居・慎に、伊豆倅忠左衛門を揚屋入に、藩士鈴木四郎太夫を閉門に、同河合伝次を逼塞に処す。(綱要)
 14 岡崎藩主本多忠民、浪士武田正生ら警備のため出兵の状を、幕府に上申す。(綱要)
 15 幕府、使番建部徳次郎に目付助を命じ、越前に赴いて、浪士武田正生ら追討の事に従わしむ。(綱要)
松代藩、藩内に令して、浪士武田正生らの徒の城下に入るを警戒せしむ。(綱要)
 16 金沢藩隊長永原甚七郎、使いを新保駅滞在の浪士武田正生らに遣わし、明日を以て討伐すべきを告ぐ、正生、反抗の趣旨にあらざるを述べ、降伏書を贈る、ついで21日、禁裏守衛総督徳川慶喜、正生らの降を容れ、金沢藩に令してこれを収容せしむ。(綱要)
禁裏守衛総督徳川慶喜、13日、近江国大津を発し、同堅田、同大溝、同今津を経て、この日、同海津に至りて滞陣す、翌日、水戸藩主徳川慶篤弟松平昭武、また海津に着す、旁近の諸藩、前後兵を出して浪士武田正生の党に備う、越前木ノ芽峠方面に福井、丸岡、鯖江、彦根藩、越前中河内に彦根藩、近江柳ケ瀬、栄木に大垣、彦根藩、近江海津に彦根藩橡之木峠に彦根藩、越前葉原に加賀金沢藩、越前谷股に小田原藩、越前疋田、山中に大垣藩、各出兵してこれを守り、幕府別手組、水戸、福岡、津軽、篠山、桑名、会津、小浜、福知山、津、加賀金沢、大垣、彦根、大野、福井、諸藩兵、越前敦賀に屯集す。(綱要)
 18 禁裏守衛総督徳川慶喜、書を熊本藩主細川慶順弟長岡良之助に寄せ、浪士武田正生ら追討のため出陣せるを告げ、征長総督徳川慶勝の、萩藩処分は寛典に失するを難ず。(綱要)
 20 朝廷、禁裏守衛総督徳川慶喜に命じて、速やかに浪士武田正生らの処置を了し、京都に帰らしむ。(綱要)
前福井藩主松平慶永、書を禁裏守衛総督徳川慶喜に致し、藩主松平茂昭、萩藩征討出陣中なるを以て、浪士武田正生ら警護に出兵し難きを告ぐ。(綱要)
 23 目付由比図書、同織田市蔵ら、浪士武田正生ら投降せるを以て、諸藩に令して撤兵せしむ、この日、慶喜、兵を率いて海津を発す、ついで26日、京都に帰る。(綱要)
 24 金沢藩隊長永原甚七郎、浪士武田正生ら823人を新保より敦賀に監護し、正生、田丸稲之衛門、藤田小四郎らを本勝寺に、他を本妙寺及び長遠寺に収容し、藩兵を以てこれを警護す。(綱要)
 26 若年寄立花種恭、関白二条斉敬に謁し、幕府の内旨を含んで、常陸、下野動乱に依り、関東の人心動揺甚だしき情勢を述べ、禁裏守衛総督徳川慶喜東下の許可を請う、斉敬、これを却く。(綱要)
 27 水戸藩、藩士尾崎豊後、同石河竹之介、同藤田健次郎、同猿田碩之介を、浪士武田正生ら騒乱の際の処置不行届に依り処罰す。(綱要)
征長総督、追討諸軍に撤兵を令す。
 28 水戸藩主徳川慶篤弟松平昭武、海津を発し、ついで慶応元年1月3日、京都に帰着す。(綱要)
 29 浪士武田正生らの騒擾鎮定に依り、大垣藩主戸田氏彬、京都警戍の藩兵を先発登京せしめ、宇都宮藩主戸田忠恕着府す。(綱要)