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水戸から見た関連年表#8

慶喜公27歳文久3年(1863)
文久3年
 月  日  記  事
 1  14 水戸藩主徳川慶篤、上京の期近きに在るを以て、諭書を留守の藩士に下し、特に海防を厳にせしむ、ついで28日、全藩士に諭して和親協力せしむ。
 27 熊本藩士宮部鼎造、同河上彦斉、土佐藩士武市半平太、水戸藩士梶清次衛門、同下野隼次郎、同金子勇次郎、同山口徳之進、同住谷七之允、同大胡聿蔵、同高畑孝蔵、同林五郎三郎、同岡部藤助、同大野謙助、同西宮和三郎、同川又才助、同林長左衛門、同赤須銀三、長州藩士久坂玄瑞、同松島剛蔵、同志道聞多ら、京都東山翠紅館に会し、時事を論ず、長州藩世子毛利定広、また席に臨む。
 2  16 水戸藩主徳川慶篤、江戸を発して上京の途に就く。
 22 この夜、浪士三輪田綱一郎、同建部建一郎(元牛久藩士)ら、洛西等持院に闖入して、足利尊氏、同義詮、同義満の木像の首を盗み、加茂川原に梟す。
 26 将軍後見職徳川慶喜、政事総裁職松平慶永、前尾張藩主徳川慶勝、連署、書を関白鷹司輔熙に呈し、幕議、生麦事件に関する英国の要 求拒否に決したるを以て、上下共に必戦の覚悟あるべきを述べ、在京諸侯に帰藩を許し、かつ水戸藩主徳川慶篤に江戸守備の朝命を下さんことを請う。
 27 朝廷、将軍後見職徳川慶喜に命じて、親子内親王守護のため、水戸藩主徳川慶篤の上洛を止め、旅中より江戸へ還返すべきの朝旨を伝えしむ、ついで29日、慶篤の請を許し、上京の直後に帰府せしむ。
 3   5 水戸藩主徳川慶篤、京に至る。
  7 将軍徳川家茂、将軍後見職徳川慶喜、老中板倉勝静、水戸藩主徳川慶篤、その他幕府有司及び在京諸侯を従えて参内、物を献じて天機を伺い、政務委任の恩命を謝す、天皇小御所に召見、優詔を賜いて、君臣の名文を正し、人心の帰一を図り、攘夷の成功を期せしむ。
  9 水戸藩主徳川慶篤、参内、竜顔を拝し、天盃を賜る。
 11 天皇、加茂両社に幸し、親しく攘夷の祈願を修す、前関白近衛忠熙、太宰師熾仁親王、武家伝送坊城俊克の同社に先着し、関白鷹司輔熙、将軍徳川家茂、将軍後見職徳川慶喜、水戸藩主徳川慶篤ら供奉す。
 18 幕府、朝命を奉じ、10万石以上の諸侯に令し、忠勇強健の士を選び、禁廷の守衛に当たらしむ。
 24 水戸藩主徳川慶篤参内す、小御所において竜顔を拝し、天盃及び御剣を賜り、将軍目代として東帰、江戸守備の任に就くべきの命を拝す、慶篤、翌日出発す。
 27 朝廷、朝旨を水戸藩主徳川慶篤弟松平昭訓に下し、国防充実、人心一和の基本確立に周旋せしむ。
 4   6 朝廷、尾張藩主徳川茂徳、紀伊藩主徳川茂承、水戸藩主徳川慶篤らに命じ、石清水社行幸当日宮門沿道及び社頭の警備にあたらしむ。
 11 天皇、石清水に幸し八幡宮を拝し、親しく外患を祈禳し、深夜丑刻攘夷の節刀を賜わらんとして、将軍後見職徳川慶喜を社頭に召す、慶喜、たまたま疾あり、命を辞す、天皇、明け方行在所に入り、ついで、還幸す。
将軍目代徳川慶篤、江戸に着す。
 14 幕府、将軍目代徳川慶篤に、将軍滞京中外交の事を委任す。
 15 朝廷、岡山藩主池田茂政、水戸藩主徳川慶篤弟昭訓らを学習院に召し、攘夷、海防等、国是に関する意見を徴す。
 16 長州藩世子毛利定広、参朝、意見10条を述べて前日の諮問に対え、かつ藩主慶親に代わりて攘夷期限布告の嘆願の書を上る、岡山藩主池田茂政、水戸藩主徳川慶篤弟昭訓らもまた参朝し、奉答書を上る。
 17 長州藩世子毛利定広、洛外曼珠院に於て対馬府中藩主宗義達、水戸藩家老武田耕雲斎と会見す、水戸藩主徳川慶篤弟松平昭訓、土佐反支族山内兵之助、参会を辞す。
 18 将軍後見職徳川慶喜、書を上りて権中納言三条実美、左近衛権少将姉小路公知を攘夷実検使として東下せしめんことを奏請す、朝廷、その可否を長州、岡山、水戸等の諸藩に諮問す、ついで20日、慶喜の請を斥く。
 20 将軍家茂、攘夷期日を5月10日と奉答す。
 22 朝廷、水戸藩主徳川慶篤弟松平昭訓の将軍に随従し、摂海防備を視察するを許す。
将軍後見職徳川慶喜、京を発して帰府の途に就く、大目付岡部長常、水戸藩家老武田耕雲斎ら、これに随従す。
 5   7 将軍目代徳川慶篤、書を関白鷹司輔熙に上り、幕議生麦事変償金支払いを拒絶するに決したるを上申す。
老中格小笠原長行、海路上京の途に就かんとす、将軍目代徳川慶篤、家老武田耕雲斎を急派してこれを抑留す、長行、承知せず、翌日、軍艦蟠竜丸に乗り、横浜に赴く。
 10 長州藩、下関海峡通過の米商船を砲撃す。
 11 朝廷、勅を将軍目代徳川慶篤に下し、償金交付拒絶決定の奏聞を嘉納し、鎖港談判の経過を上奏せしむ。
 13 朝廷、前宍戸藩主松平頼位に生麦事変償金交付拒否の朝旨を授け、東下せしむ。この日、頼位、京を発す。
 15 京都御所付近出火の際、堂上に非常参内を命じ、翌日、土佐藩主山内豊範に清和院門、水戸藩主徳川慶篤に蛤門、薩摩藩主島津茂久に乾門等の非常警戒を命ず。
 19 水戸藩主徳川慶篤、書を中川宮に上り、将軍目代の任を辞せんとするの衷情を述ぶ。
 24 将軍輔翼徳川慶勝、書を朝廷に上げ、将軍徳川家茂をして滞阪、京都の守護に当たらしめ、将軍後見職徳川慶喜に将軍輔翼を命じ、将軍目代徳川慶篤に外夷掃攘に当らしめんことを建言す。
 25 朝廷、仙台藩主伊達慶邦、水戸藩主徳川慶篤らに命じて、議奏伝奏及び国事御用係、同参政、寄人の公卿堂上を護衛せしむ。
 6   1 朝廷、水戸藩主徳川慶篤の将軍目代を辞するを許し、将軍後見職徳 川慶喜の辞職を許さず、なお慶篤に命じ、慶喜と協力、将軍徳川家茂を補佐せしむ。
  6 長州藩士高杉晋作、奇兵隊を編成す。
 21 将軍徳川家茂、水戸藩主徳川慶篤を召見して江戸留守の労を慰め、以後、日々登営、幕政を輔くべきを命ず、ついで23日、慶篤、幕府の情実紛糾せるにかんがみ、これを固辞す。
 22 中川宮家士山田勘解由、同伊丹蔵人、楠木正成の墓に代参すと称して西下せんとす、水戸、熊本、長州、土佐の諸藩の親兵、朝旨に依り、これを抑留す。
 23 水戸藩主徳川慶篤、家老武田耕雲斎に領内海岸巡視を命じ、防備を修めしむ。
 26 水戸藩主徳川慶篤、書を関白鷹司輔熙に致し、将軍後見職徳川慶喜に上京の勅命を賜らんことを請う。
 7   2 英艦隊7隻、鹿児島湾において薩摩藩と戦う。
 12 鳥取藩主池田慶徳、書を水戸藩主徳川慶篤、将軍後見職徳川慶喜に致し、京情を報じ、攘夷断行、奸吏の処罰を建議す。
 14 水戸藩士会沢正志斎没す。
水戸藩士梶清次衛門、熊本藩士宮部鼎造ら連署して、姉小路公知暗殺者を、厳に明らかにせんことを進言し、薩摩藩士の宮門出入解禁及び同藩主茂久生父島津久光召命の、共に早計なるを上申す。
 20 朝廷、熊本、水戸などの親兵をして、交番して、建春、平唐、准后、台所門などを守護せしむ。
 8  14 元侍従中山忠光、同吉村寅太郎、同渋谷伊予作(元下館藩士)ら30余名を従え、ひそかに京を脱す。
 15 水戸藩主徳川慶篤、書を関白鷹司輔熙に致し、幕議横浜鎖港に決し、不日交渉を開始すべきを報ず。
 17 元侍従中山忠光を首領とする天誅組、大和五條代官所を襲撃す。
 18 公武合体派、宮中クーデターを実行し、尊攘派を圧す、ついで三条実美らの7卿長州藩に西下す。
 24 将軍後見職徳川慶喜、書を鳥取藩主池田慶徳、岡山藩主池田茂政及び水戸藩主徳川慶篤弟松平昭訓に致し、幕府、老中板倉勝静の主唱によりて俄に横浜鎖港の議を変じ、将軍及び老中、朝廷に対して開鎖の利害得失を述べんとするに決したるも、己は身を以て叡旨貫徹に当らんとするの決意を告ぐ。
 9   1 朝廷、将軍後見職徳川慶喜に勅して、速やかに鎖港談判に着手せしむ、鳥取藩主池田慶徳、岡山藩主池田茂政、水戸藩主徳川慶篤弟松平昭訓、連署して慶喜に奉勅努力すべきを勧告す。
  5 浪士渋谷伊予作(元下館藩士)、元侍従中山忠光の使者として大和国五条津藩陣営に至り、その出兵の趣旨をただす、同藩、伊予作を抑留す。
  6 別勅使熾仁親王、在京水戸藩家老大場景淑及び同藩士に随従を嘱す。
 15 大阪町奉行、金相場未曽有の高騰のため、金1両に銀80匁以上の両替を禁ず。
 24 幕府、再び生糸、呉服、雑穀、水油、ろうの5品、直接神奈川積出しを禁ず。
 28 薩摩藩、横浜で薩英戦争の講和談判を開始す。
10   5 水戸藩士長谷川作十郎、書を在京の同藩士原市之進、同野村彜之助 に寄せ、横浜鎖港に関する幕議の内情を報ず。
  7 元侍従中山忠光の党岡見留次郎(元水戸藩士)ら、連署して書を津藩士川村貞蔵らに致して拘囚中の優遇を謝し、他藩に移さるることなく、その藩に於て処刑せられんことを請う。
 12 尊攘派志士平野国臣ら、公卿沢宣嘉を擁し挙兵、但馬生野代官所を襲撃す。
 13 公卿沢宣嘉、再挙を後日に期し、生野の本営を脱し、讃岐に逃る、浪士関口泰次郎(元水戸藩士)ら、四方に離散す。
元権中納言三条実美ら、浪士清岡半四郎、同千屋菊次郎を水戸に遣わし、藩主徳川慶篤及び家老大場景淑らに、藩祖の遺烈を継いで鋭意王事に尽くさんことを勧説せしむ。
 14 公卿沢宣嘉の党、但馬国山口村妙見山を拠守す、この日、所在の土民に包囲せられ、川又左一郎(常陸国茨城郡吉沼村人)、小河吉三郎(元水戸藩士)ら、土民の要する所となり、左一郎は但馬国伊由村付近に於て捕らえられ、吉三郎は納坐村に於て自刃す。
 22 在京の水戸藩士原市之進、薩摩、越前、土佐、福岡藩などの情勢を江戸藩邸有司に報ず。
この月 非常警備のため、弘前藩主津軽承昭、土浦藩主土屋寅直らに命じ、江戸藩邸内に兵を備えしむ。
11   1 幕府、生麦事件の償金10万ドルを英国へ支払う。
  6 水戸藩士原市之進、書を在府の同藩士野村彜之介、同長谷川作十郎に寄せ、在京諸侯の動静を報ず。
 15 幕府、将軍上洛するを以て、水戸藩主徳川慶篤に留守を命ず。
 19 朝廷に於て、将軍上洛までに、徳川三家及び国主、准国主諸侯を京都に召すの議あり。
 23 水戸藩主徳川慶篤弟松平昭訓、病で京に卒す、ついで26日、朝廷、勤王の功を賞し、従四位下に叙しす、かつその喪を秘し(元治元年5月11日発喪)弟松平昭武を昭訓の看護と称して上京せしむ。
 25 処士桃井儀八の党、長州藩士福原乙之進、一橋家士脇坂又三父子、刈谷藩士遠藤木工、同浜田篤蔵、同村上其太郎ら、江戸赤坂刈谷藩邸内の同志倉田珪太郎の家に会して、密議す、古河藩主土井利則、捕吏を発してこれを捕う、乙之進、闘死す、幕府、木工、篤蔵、其太郎を利則に、又三父子を大洲藩主加藤泰祉に、珪太郎を其藩に各御預となす。
 27 幕府、庄内藩主酒井忠篤、結城藩主水野勝知ら、江戸府内警邏18藩主に命じて、浮浪の徒の暴行を発見せば、捕縛に及ばず、直ちにこれを撃殺せしむ。
この月 幕府、水戸藩に、故同藩士大関和七郎ら37人の墓碑を建つことを許可す。
12   3 幕府、川越藩主松平直克、忍藩主松平忠誠、古河藩主土井利則らに命じて、厳に赤城山麓に集まれる浪士に備えしむ。
  4 幕府、水戸藩主徳川慶篤の江戸城を留守するを以て、その御殿山下砲台警備を免ず。
  7 朝廷、将軍後見職徳川慶喜に命じて、在京水戸藩士を指揮せしむ。
 11 幕府、水戸藩浪人または新徴組などと称し、攘夷の朝旨を曲げて富豪を掠奪し、農民を誘惑するの徒を厳に捕斬せしむるを以て、諸浪士に速やかに旧主に帰参すべきを諭し、また諸藩藩士の旅行には、必ず道中奉行に先触を出し、諸関門は過書を以て通過すべきを命ず。
 20 幕府、米国公使との間に輸入品税率引下げにつき協議し、約書に調印す。
 22 幕府、硝石会所を置き、関八州及び伊豆、駿河、遠江、三河、甲斐、信濃の幕府領内に於て、私にこれを製造売買するを禁ず。
 27 横浜鎖港談判使節池田長発、同河津祐邦、目付河田熙、外国奉行支配組頭田辺太一、水戸藩士別所左二郎ら30人を従え、江戸を発して神奈川に至り、29日、仏国軍艦ル・モンジュに乗船し、清国上海に向かう。
幕府、水戸藩家老武田耕雲斎に、関東鎮撫を依頼す、耕雲斎、翌日江戸を発し、水戸に至る。
この月 新徴組及び真忠組と称する浪士らの、江戸府内及び安房、上総、常陸、上野諸地方に於て、暴行劫掠するもの多し。
この年 紀伊藩士里見二郎、水戸藩士芹沢又右衛門ら、書を前尾張藩主徳川慶勝に上り、薩摩藩を斥け会津藩を導いて、公武のために力を尽くさんことを請う。