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水戸から見た関連年表#5

慶喜公24歳万延元年(安政7.3.18改元)(1860) 
 年   月  日  記  事
安政7年  1  4 水戸藩士金子孫二郎、同高橋多一郎、勅書返納の勅命降下の真相を探り、かつ関東の形勢を叡聞に達せんとはかり、同木村権之衛門、同畑弥平、同内藤文七郎をして上府し、ひそかに密偵上京の事をはからしむ。
 6 若年寄安藤信睦、水戸藩家老肥田大助を召し、勅書返納を促す。
 9 若年寄安藤信睦、水戸藩邸に至り、勅書返納を督促す、藩主徳川慶篤、鳥取藩主池田慶徳、前宍戸藩主松平頼位及び家老白井久胤、同肥田大助らを会して会議し、勅書を幕府に返納し、返納督促の勅書授与を請うに決す、すなわち奥右筆亀井宇八を水戸に急派し、衆議をつくさしむ。
10 水戸藩家老杉浦羔次郎、側用人久木直次郎ら、藩命をうけ、勅書返納の事に関して上府せんとす、同藩有志、これを不可として妨ぐ。
13 幕府の軍艦咸臨丸、品川を発し、米国訪問に向かう。
水戸藩要路、将に勅書返納の議を決せんとし、有志の徒ために大に動揺す、この日、藩庁、若年寄大森多膳、同岡田新太郎、側用人戸田銀次郎、目付長尾左太夫、同田丸稲之衛門、同富田三保之介らを常陸国長岡駅に派して、屯集の士民を鎮撫せしむ。
15 水戸藩主徳川慶篤、登営す、老中安藤信睦、本月25日を期して勅書を返納すべきを命ず、慶篤、すなわち家老白井久胤、同肥田大助らをして帰藩し、事を処理せしむ。
19 水戸藩士木村権之衛門ら、江戸に至り、薩摩藩士有村雄助、同田中直之進らと会し、両藩同志結盟し、斬奸義挙のことを議す、この日、薩摩藩士山口三斉、同志糾合のため、急遽帰藩の途に就き、権之衛門、また水戸に着す。
22 在府水戸藩家老尾崎豊後ら、書を在藩家老山野辺義芸らに寄せ、返納期日(本月25日)迄に勅書を江戸に護送せずんば、藩主自ら下向する旨を告ぐ。
24 斉昭公、諭書を有司に下し、勅書返納の藩議を遵奉せしめ、常陸長岡駅屯集の衆を解散せしむ。
25 在藩の水戸藩家老、藩士らの常陸国長岡駅に屯集して、勅書返納を妨害せる情を在府家老に報じ、藩主徳川慶篤の指揮を請う、翌日、有司、屯集藩士らの処分を斉昭公にうかがう。
27 水戸藩主徳川慶篤、勅書の返納、その期に遅れたる事情を幕府に上申し、かつ手書を在藩家老に下して諭示す。
水戸藩士木村権之衛門、同佐野竹之介、同黒沢忠三郎、江戸に来り、薩摩藩士有村雄助らと斬奸義挙の事を密議す、ついで29日、権之衛門ら、再び雄助らと謀議し、薩摩藩士田中直之進を藩地に急行せしめ藩兵の東上をはからしむるに決す。
28 老中安藤信睦、水戸藩家老尾崎豊後、同興津蔵人らを召し、重ねて勅書返納を督促す。
29 水戸藩、常陸国長岡駅屯集士民の父兄らに命じて、その子弟を説諭解散せしむ、屯集士民ら、情を陳じて退散を承知せず。
30 水戸藩家老、斉昭公の諭書を士分以上に示し、勅書返納の已むを得ざる所以を諭す。
 2  1 水戸藩小姓頭取板場熊吉、同原田八兵衛、勅書返納に関する藩命をうけて帰藩の途次、常陸国長岡駅に於て屯集の士民のために抑留せらる。
 3 斉昭公、元家老大場景淑、小姓頭取三浦贇男らを常陸国長岡駅に遣わし、屯集士民を慰諭して小姓頭取板場熊吉らの抑留を解かしむ。水戸藩主徳川慶篤、小姓頭取増谷三十郎を急遽水戸に遣わし、本月5日を限り勅書を江戸に護送すべきの要を斉昭公に訴えしむ。
 4 水戸藩弘道館総裁会沢正志斎、書を藩庁に上り、速やかに勅書を返納すべきを述ぶ、ついで、元家老武田正生(耕雲斎)、弘道館訓導林了蔵ら、上書して返納の不可を論ず。
 6 水戸藩家老氏来久胤、同杉浦羔次郎、同若年寄岡田信太郎ら、勅書返納の猶予を幕府に請わんがため、水戸を発す。
8日、江戸に至る、小納戸荒槙政衛門、江戸より帰りて、斉昭公に勅書返納に関する江戸の事情を述ぶ。
 8 幕府、水戸藩の将に領内屯集浪士を鎮圧せんとするを以て、令して浪士らの府内潜入に備えしめ、江戸諸門の警戒を厳にせしむ。
水戸藩主徳川慶篤弟松平昭休、書をその母吉子及び家老山野辺義芸、同肥田大助に致し、長岡駅屯集士民を処分して速やかに勅書を返納すべきを述ぶ、在府家老尾崎豊後ら、また幕府の督促急なるを義芸らの在藩家老に報ず。
 9 水戸藩主徳川慶篤、家老興津蔵人、側用人飯田総蔵を老中安藤信睦に遣わし、勅書返納の困難なる事情を陳じ、斉昭公の藩政参与の許可を請わしむ。
14 水戸藩主徳川慶篤、書を父斉昭公及び母吉子に寄せ、本月内に勅書の返納を断行せんことを告げ、その助力を請う。
この夜、水戸藩側用人久木直次郎、水戸城外に襲撃せられ傷を受く。
15 斉昭公、諭書を下して勅書返納の趣意を述べ、士民を慰む。
16 水戸藩、家老鳥居瀬兵衛、若年寄大森多膳らをして、部下を率い、斉昭公の諭書をもたらして常陸国長岡駅に至り、屯集士民を説諭せしむ。
水戸藩弘道館総裁会沢正志斎、再び勅書返納の断行を藩庁に建言す。
18 水戸藩家老鳥居瀬兵衛ら、常陸国長岡駅にいたらんとし、薬王院に至る、この日、藩庁、藩士高橋多一郎、同関鉄之介、同住谷寅之介、同矢野長九郎、同浜田平介を拘禁せんとし、これを評定所に召喚す、多一郎、鉄之介ら、機に先んじて脱走す、鉄之介は19日、江戸に至り、多一郎は水戸に潜む、18日夜、長岡駅屯集の藩士林忠左衛門、同林五六郎、同大津彦五郎ら10余名、多一郎を救わんとして城下に入り、水戸城下消魂橋(たまげばし)畔に、瀬兵衛の隊と衝突す。
水戸藩士金子孫二郎、その男勇二郎及び同志稲田重蔵、飯村誠介、佐藤鉄三郎と共に藩地を脱して江戸に走る。
19 水戸藩家老太田誠左衛門、同鳥居瀬兵衛ら、重臣を会して常陸国長岡駅屯集士民の処分を議す。
20 常陸国長岡駅屯集の水戸藩士民、勅書返納の不可及び同志屯集の趣旨を藩庁に述べ、自ら解散す。
水戸藩士高橋多一郎、書を藩庁に差出して勅書返納の不可を述べ、その子庄衛門らと共に潜居を発し、京に向かう。
21 鹿児島藩士田中直之進、帰藩して江戸における水戸、薩摩両藩同志結盟の状を報ず。
斉昭公、家老に命じ、藩兵を派遣して常陸国長岡駅屯集士民を鎮撫せしむ、社寺奉行渡辺半助、側用人青山量太郎をして藩士200余名を2隊に分かち、部署せしむ、ついで23日、各水戸を発す。
23 幕府、町奉行、勘定奉行及び会津、土浦、関宿、古河、笠間、宇都宮その他関東、東北などの諸藩に命じて、水戸藩の逃亡者を追捕せしむ。
水戸藩、ついに勅書返納に決し、支藩松平頼譲を以て総奉行となし、大寄合頭市川主計、大番頭朝比奈弥太郎らをしてこれを警護せしめ、25日を期して水戸を発せんとす。
24 水戸藩、勅書返納の已むを得ざる事情を布告して人心を鎭静せしめ、斉昭公、また有司をして親諭す。
水戸藩家老肥田大助、勅書返納の不可を斉昭公に上申し、元家老大場景淑、また弘道館訓導原市之進の内紛鎮撫に関する意見書を斉昭公に呈す、翌日、市之進さらに上書して勅書の返納すべからざる理由を述ぶ、水戸藩士斎藤留次郎、藩議の勅書返納に決せしを憤り、城内大広間廊下に切腹す。
25 水戸藩要路、前夜より徹宵会議し、重ねて勅書返納の猶予を幕府に請うに決す。
水戸藩社寺奉行渡辺半助ら、藩兵を率いて空しく常陸国長岡駅より帰藩す。
浪士金子孫二郎、江戸に着す、翌日、薩摩藩士有村雄助の寓に潜伏し、ひそかに除奸及び上京挙兵の事を謀議す。
28 水戸藩主徳川慶篤弟松平昭休、書を母吉子に致して、勅書を返納すべきを進言す。
 3  1 元水戸藩士金子孫二郎、同木村権之衛門、同斎藤監物、同稲田重蔵、同佐藤鉄三郎、同関鉄之介、薩摩藩士有村雄助、ひそかに江戸山崎楼に会し、大老井伊直弼要撃の日時及び部署を定む。
 2 浪士関鉄之介、同斎藤監物、同木村権之衛門、野村彜之介、同佐野竹之介、同広岡子之次郎、同稲田重蔵、同森山繁之介、同鯉淵要人、同蓮田市五郎、同黒沢忠三郎、山口辰之介、同岡部三十郎、同海後嗟磯之介、同森五六郎、同大関和七郎、杉山弥一郎、広木松之介、佐藤鉄三郎、江戸品川相模屋に会し、決別の宴を張る。
 3 浪士関鉄之介、同稲田重蔵、同山口辰之介、同鯉淵要人、同広岡子之次郎、、同黒沢忠三郎、同佐野竹之介、同斎藤監物、同蓮田市五郎、同森山繁之介、同大関和七郎、同海後嗟磯之介、同杉山弥一郎、同岡部三十郎、同広木松之介、同増子金八、同有村次左衛門(元薩摩藩士)江戸愛宕山に会す、辰刻、鉄之介ら、桜田門外において大老井伊直弼登営の行列を襲い、ついにその首級を挙ぐ、(桜田門外の変)重蔵は闘死し、辰之介、要人は八代州河岸に、次左衛門、子之次郎は辰の口に至りて各自刃す、忠三郎、市五郎、監物、竹之介は老中脇坂安宅邸に、和七郎、五六郎、弥一郎、繁之介は熊本藩邸に各自首す、鉄之介、三十郎、松之介、嗟磯之介、金八は遁れて所在に潜伏す。
薩摩藩士有村雄助、その弟次左衛門、水戸藩浪士とともに事を挙げんとし、書を江戸藩邸に遺して亡命す。
浪士佐野竹之介、同黒沢忠三郎、同山口辰之介、同大関和七郎、同森五六郎、同広岡子之次郎、同稲田重蔵、同関鉄之介、同広木松之介、同森山繁之介、同海後嗟磯之介、同鯉淵要人、同杉山弥一郎、同蓮田市五郎、同斎藤監督物、水戸藩に上書して除籍を請う。
幕府、町奉行、勘定奉行、目付に命じて、水戸藩邸を監視せしめ、また会津、庄内、桑名、小田原、土浦、関宿、古河、笠間、宇都宮諸藩に令して、水戸藩士民大挙上府の際に備えしむ。
幕府、彦根、尾張、紀伊、水戸、及び高松藩に命じ、努めてその藩邸内の動揺を鎮静し、かつ府内諸屋敷内外を警戒せしむ、また幕府、浪士大関和七郎、同森五郎、同杉山弥一郎、同森山繁之介、同黒沢忠三郎、同蓮田市五郎、同斎藤監物、同佐野竹之介を熊本藩に御預となす、竹之介重症を以て脇坂邸に死す。
水戸藩、桜田事変に加わりし者の処分を幕府に請う。
水戸藩主徳川慶篤、諭書を家老に下して藩士の無断上府を厳禁す、在府家老尾崎豊後ら、桜田事変を藩地に報じ、江戸藩邸警備のため、藩士の派遣を求め、かつ無断上府の厳禁を求む。
浪士金子孫二郎、同佐藤鉄三郎、同有村雄助、同志の大老井伊直弼襲撃の目的を達したるを確かめ、直ちに江戸を脱し、京都に向かう。
 5 幕府、浪士大関和七郎、同森五六郎、同杉山弥一郎、同森山繁之介、同黒沢忠三郎を評定所に審問す。
浪士高橋多一郎、その子庄左衛門、同黒沢覚蔵らと大阪に入り、密かに画策する所あり。
 6 熊本藩、浪士大関和七郎ら7人の御預を免ぜられんことを請う、翌日、幕府、許さず。
水戸藩主徳川慶篤、奥右筆森亥之吉を斉昭公に遣わし、桜田事変及び其後の情勢を報ず、この日、亥之吉、水戸に帰りて使命を致す、斉昭公、親書を下して藩士の妄動を戒め、文武精励を諭す。
水戸藩主徳川慶篤、桜田事変を母吉子に報じ、勅書返納の一日も速ならんことを促す。
在府水戸藩重役、在藩有司を上府せしめんことを請う、幕府、これを許し、その都度これを請わしむ。
 7 幕府、再び浪士大関和七郎、同森五六郎、同杉山弥一郎、森山繁之介、黒沢忠三郎、同蓮田市五郎、を評定所に審問す。
 8 幕府、熊本藩に付預中の浪士大関和一郎、同黒沢忠三郎を富山藩に、同蓮田市五郎を膳所藩に、同森五六郎を臼杵藩に、同杉山弥一郎を村松藩に、同森山繁之介を一ノ関藩に、各御預となす。
浪士斎藤監物、重傷を以て熊本藩邸に死す。
 9 幕府、郡山、佐倉二藩に命じ、予め水戸藩士民大挙上府の際に備えしむ。
水戸藩弘道館総裁会沢正志斎、書を藩庁に上りて桜田事変に対する藩の採るべき態度を述べ、過激なる藩士民を鎮静するの要を論ず。浪士金子孫二郎、同有村雄助、同佐藤鉄三郎、伊勢国三重郡四日市駅において薩摩藩士坂口右衛門らのために追捕さる。
浪士野村彜之介。同木村権之衛門、江戸を脱し、中山道を上国に走る、前後して同関鉄之介、同岡部三十郎らもまた上国に潜行す。
11 水戸藩士宮田瀬兵衛、桜田事変の余党と称し、熊本藩邸に自訴す、翌日、幕府、瀬兵衛を交代寄合菅沼新八郎へ御預となす。
12 京都所司代酒井忠義、京都町奉行、奈良奉行、代官などに命じて桜田事変の逃亡者を追捕せしむ。
幕府、浪士杉山弥一郎、同森山繁之介、同蓮田市五郎、同宮田瀬兵衛を評定所審問す。
13 水戸藩主徳川慶篤、再び書を母吉子に致して、有司に命じて藩士民の無断上府を厳禁せん事を請う。
浪士有村雄助、同金子孫二郎、同佐藤鉄三郎、伏見に護送さる、この日、薩摩藩吏、雄助を藩地に下す。
15 輪王寺門主入道慈性親王、使僧住心院、円覚院を以て老中松平乗全に、水戸藩の勅書返納の期をゆるめんことを勧告す。
伏見奉行林忠交、浪士金子孫二郎、同佐藤鉄三郎を拘引し、翌日、これを訊問す。
17 朝廷、桜田事変関係の者、西上の風説あるにより、京都に戒厳を加うるを以て、廷臣を戒めて出遊、不行跡の事なからしむ。
万延元年 18 元号の安政を万延と改元。
19 幕府、浪士大関和七郎、同森五六郎、同宮田瀬兵衛らを評定所に審問す。
22 水戸藩家老尾崎豊後、老中内藤信親邸に至り、藩情を述べて勅書返納の猶予を請う、翌日、再び至り、請願書を提出す。
23 元水戸藩士高橋多一郎、その子庄左衛門、捕吏に囲まれ、大阪四天王寺境内において切腹す、同川崎孫四郎、また追われて自刃せんとし、果たせずして捕らわれ、翌日死す、ついで同山崎猟蔵ら、また捕らわる、ついで猟蔵は四月九日、獄中に死す。
24 斉昭公、書を水戸藩主慶篤に送り、桜田事変に関し、善後方策を説き、速やかに勅書を返納すべきことを述ぶ。
29 在府熊本藩家老溝口蔵人、同有吉市左衛門、水戸、彦根両藩の動静及び藩世子帰藩の予定期日等を幕府に報ず。
30 幕府、水戸藩主徳川慶篤の登城を停む。
この月 水戸藩士民、領内大貫村等に屯集す、同藩、しばしば人を派してこれを説諭す。
水戸藩士石田虎蔵なる者、金沢藩邸に至りて、斉昭公の非望を密告せりと記せる偽書、流布す。
閏3  2 輪王寺門主入道慈性親王、水戸藩主徳川慶篤の依頼により、使僧を老中脇坂安宅に遣わし、勅書返納の期を緩めんことを請わしむ。
 4 幕府、水戸藩士民の海路江戸に来るを慮り、講武所、外国、軍艦の三奉行に令して、軍艦朝陽丸、鵬翔丸に講武所稽古人を乗せ、横浜方面の海上を監視せしむ。
 5 幕府、所司代、伏見奉行をして、浪士金子孫二郎、同佐藤鉄三郎を江戸に檻送せしむ。
この日、与力、同心ら数十人、二人を護して伏見を発す。
11 幕府、浪士森山繁之介を足利藩に、同森五六郎を小泉藩に、各御預替となす。
16 幕府、土浦藩の西丸大手門警衛をやめ、専ら藩地を警備せしむ。
18 幕府、水戸藩に命じ、勅書返納を抑制したる者、及び桜田事変残党の領内に潜む者を逮捕せしむ。
幕府、浪士黒沢忠三郎及び桜田事変関係の町人等を評定所に喚問す。
21 幕府、浪士森山繁之介を評定所に審問す。
23 浪士金子孫二郎、同佐藤鉄三郎、檻送せられて品川に達す、翌日、幕府、孫二郎を臼杵藩に、鉄三郎を一ノ関藩に御預となす。
26 幕府、浪士金子孫二郎、同佐藤鉄三郎を評定所に喚問す。
この月 水戸藩士民の、領内大貫村に屯集する者、陳情書を藩庁に提出して退散し、また領内島田村に屯集し、意衷を述ぶ。
 4  2 幕府、膳所藩御預の浪士蓮田市五郎を、黒川藩に御預替となす。
22 幕府、富山藩御預の浪士大関和七郎を、豊岡藩に、同じく黒沢忠三郎を、三田藩に各御預替となす。
25 幕府、所司代酒井忠義に命じ、さきに安政5年8月8日、水戸藩主徳川慶篤に下せし勅書を、返納すべき再命の勅書を賜らん事を奏請せしむ、ついで5月5日、忠義、これを奏請す。
 5 12 浪士関鉄之介、大阪、鳥取及び中国路等を潜行し、この日、肥後国水股駅に達す、翌日、書を薩摩藩士堀仲左衛門、同高崎猪太郎に送り、会見を求むるも果たさず。
23 浪士島男也(元笠間藩士)同佐久良東雄、同内藤文七郎、同大貫多助ら、大阪、堺等に於て捕らわれ、この日、檻送せられて江戸に着す。
幕府、浪士島男也、同佐久良東雄、同内藤文七郎、同大貫多助らを評定所に喚問す。
29 京都所司代酒井忠義、幕府の情実を述べ、かさねて水戸藩に下せる勅書の返納督促の勅命を請う。
 6 13 朝廷、さきに水戸藩に下せし勅書の返納を命ずる勅書を、幕府に下賜するに決し、この日、これを京都所司代酒井忠義に下附す。
 7  1 禁裏附大久保忠良、さきに水戸藩に下せる勅書の、返納を命ずる勅書を奉じて、江戸に着す。
11 元水戸藩士黒沢忠三郎、三田藩邸に付預中病没す。
14 幕府、道中奉行及び神奈川奉行に命じて、水戸藩士民の神奈川宿付近を徘徊する者を、厳に取締らしむ。
21 水戸藩、藩士に文武偏重なく、精励すべきを諭示す。
22 長州藩士桂小五郎、同松島剛蔵、水戸藩士西丸帯刀、同岩間金平、同園部源吉ら、しばしば会合して、ひそかに時事収拾の策をはかり、ついに品川沖碇泊の長州藩軍艦丙辰丸に於て成破の盟約を結ぶ。
 8 15 斉昭公薨ず、喪を秘す。
17 斉昭公の訃報、江戸藩邸に達す、藩主徳川慶篤、帰藩の許可と、斉昭公の謹慎解除とを請う、翌日、幕府、慶篤の帰藩を許し、斉昭公の謹慎をゆるやかにす。
26 老中久世広周、同本田忠民、水戸藩邸に臨み、斉昭公の永蟄居宥免の台命を伝う。
水戸藩主徳川慶篤、江戸を発して藩地に帰る、29日、水戸に着す。
27 幕府、斉昭公の薨去に依り、音曲の禁止を令し、在府諸侯に総登城を命ず。
水戸藩士林忠左衛門、同吉成恒次郎ら37人、薩摩藩江戸芝邸に投じ、攘夷の先鋒たらんことを請う、同藩、これを幕府に上申す、幕府、同藩に命じてしばらくこれを保護せしむ。
 9  4 幕府、徳川慶恕、徳川慶喜、松平慶永、山内豊信の慎を解く。
13 水戸藩、斉昭公に諡して源烈公と称す。
27 水戸藩、斉昭公を常陸国久慈郡瑞龍山に葬る。
28 水戸藩士民、藩主徳川慶篤の在藩を嘆願す、慶篤、参府の期を延期すべからざる旨を藩内に諭示し、鎮静を期せしむ。
10  7 水戸藩主徳川慶篤、水戸を発し、参府の途に就く。
10 水戸藩主徳川慶篤、着府す、ついで13日、幕府、慶篤に除服を命ず。
18 水戸藩、藩士住谷寅之介、同矢野長九郎、同斎藤佐次衛門、同浜田平助の蟄居をゆるす、翌日、更に故藩士安島帯刀、同茅根伊予之介の遺族及び元藩士鮎沢伊太夫の家族に禄を与う。
19 幕府、水戸藩主徳川慶篤の請を容れ、勅書返納の期をゆるやかにす。
26 幕府、水戸藩に令し、藩士の旅行を厳制し、藩内の鎮静につとめしむ。
この月 元梶井門跡坊官富小路任節、水戸より帰京の途、神奈川に於て幕吏のため逮捕せらる。
11  2 幕府、水戸藩に命じ、藩士の江戸往復は予め姓名員数を具して指揮を請わしめ、かつ藩内を鎮静せしむ。
14 幕府、水戸藩主徳川慶篤、登城停止の解除後、初めて登営す。
水戸藩、前家老岡田徳至、同大場景淑、同武田耕雲斎を起用して、藩政に参与せしむ。
12  5 米公使館通弁官ヒュースケン、暗殺さる。
佐久良東雄、獄死す。

11月以降、水戸領内浮浪の徒、党を結び、各地に横行す。