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水戸から見た関連年表#3

慶喜公22歳(安政5年・1858)  
 年   月  日  記  事
安政5  1  2 慶喜公、斉昭公を訪ね、旧臘29日、勘定奉行川路聖謨、同永井尚志の来談に際し、斉昭公の言説に不穏の廉ありしことに就いて諌告す(斉昭公の京都への文通の件)、斉昭公深くこれをいれる。慶喜公すなわち老中堀田正睦らに弁明する所あり。
 4 慶喜公、川路聖謨などを召見し、能装束を与う。
 6 薩摩藩主島津斉彬、書を近衛忠熙に呈して慶喜公を将軍の継嗣となすの内命を下されんことを請う。
21 斉昭公、老中堀田正睦の上京にさきだち、書を前関白鷹司政道に致し、俄に外交拒絶の勇断に出ることなく、しばらく国防の整備を待つべきの意見を述ぶ。
26 斉昭公、書を大坂城代土屋寅直に寄せて、公武の融和に力をつくさんことを願う。
 2  9 老中堀田正睦、通商条約の勅許を得んとして参内す。
21 越前藩主松平慶永、本立院に斉昭公の京都入洛説の虚妄なるを告げ、幕府大奥の斉昭公に対する嫌疑をはらさんことを依頼する。
この月 慶喜公、書を幕府の老女萬里小路に贈り、あらかじめ将軍継嗣辞退の内意を通ず。
 3  8 福井藩士中根靱負、水戸藩士安島帯刀、一橋家小姓平岡円四郎の邸に会し、一橋家主慶喜公の将軍たるを固辞するの意あるにつき、密議す。
20 朝廷勅して、幕府の条約締結奏請を許さず。
21 水戸藩主徳川慶篤、城外千波原において藩士の甲冑調練追鳥狩を行う。
22 朝廷、幕府に、将軍継嗣を定むべき内旨を伝える。
この月 水戸藩士会沢正志斎、内政及び軍制の改革に関する意見書を藩主徳川慶篤に上る。
 4  3 水戸藩士安島帯刀入京、在京中の勘定奉行川路聖謨、福井藩士橋本左内及び処士梁川信十郎らと会見す。
 9 斉昭公、品川沖に幕府軍艦観光丸を見る。
23 彦根藩主井伊直弼、大老に就任す。
この月 水戸藩士豊田天功、会沢正志斎ら、藩主慶篤の諮問に対し、条約調印に関する意見書を上る。
 5  1 水戸藩主徳川慶篤、尾張藩主徳川慶恕、条約調印に関する意見を幕府に答申す。ついで老中堀田正睦、福井藩主松平慶永ら、答申の趣旨幕議に合せざる故を以て、その修正を慶篤、慶恕二人に勧説す。
 3 斉昭公、条約調印に関する諮問に答え、叡慮を奉じて征夷の任をつくすべきを言う。その文中に幕府の忌憚にふれるものあり。
 7 正三位大原重徳、ひそかに大阪に赴き、城代土屋寅直の公用人大久保要を訪い、公武合体、外患攘除の策を斉昭公に問わんがため、江戸に赴かんことをはかる。
 9 徒頭薬師寺元真、大老井伊直弼を訪れ、斉昭公、松平慶永ら、ひそかに海防係諸員と結び、外交の難局に託して将軍を廃し、慶喜公を立てんことをはかると告ぐ。
22 越前藩主松平慶永、時勢の危うきに迫るを憂い、その状を斉昭公に告げて対策を問い、かつ宗家のために尽くさんことを嘱す。
23 幕府、陪臣の蕃書調所就学を許可す。
この月 水戸藩、耶蘇教に関する編著の調査を行う。
 6  1 慶喜公、斉昭公を訪問す。
 9 斉昭公、外交措置に関し、改めて質疑14箇条を幕府に提出してその大本を質問す。
17 一橋家小姓平岡円四郎、越前藩士中根靱負を訪問し、水戸藩士の時勢に慨し、幕府の要路に対し、除奸の計画あるを告ぐ。
19 勅許を待たずに、下田奉行ら、米国総領事と日米修好通商条約に調印す。
21 斉昭公、書を大老井伊直弼に致し、条約の調印は必ず勅裁を経てこれを行うべきを切言し、大老、老中の間、速やかに上京して朝旨を伺うべきを勧告す。水戸藩主徳川慶篤また書を幕府に致して、条約に調印せしや否やを問う。
22 斉昭公、書を越前藩主松平慶永に寄せて、条約調印に関する幕府の措置を難じ、その要路の責任を問わんとの意を告ぐ。
23 慶喜公、営中にて、大老井伊直弼が条約調印を宿継奉書にて朝廷に上奏せしことを詰問す。
24 斉昭公、尾張藩主徳川慶恕、水戸藩主徳川慶篤不時登城し、大老井伊直弼に条約の無断調印を面責す。直弼、これに弁明す。
25 将軍家定、紀伊藩主徳川慶福をもって継嗣と定む。慶福、登営し家定に謁し、ついで尾張藩主徳川慶恕、水戸藩主徳川慶篤、田安家主徳川慶頼、一橋家主徳川慶喜以下溜詰、譜代諸侯及び諸有司、各登営す。
大老、井伊直弼、書を前宇和島藩主伊達宗紀に寄せて、斉昭公、尾張藩主徳川慶恕ら不時登城の事情を告ぐ。
27 尾張藩主徳川慶恕、書を斉昭公に致し、先日同道登営せし後の時事について所見を問う。
29 斉昭公、書を越前藩主松平慶永に復し、条約無断調印の違勅たるを述べ、幕府要路のその責に任ずべきを述ぶ。
 7  1 水戸藩主徳川慶篤登営し、老中太田資始に京都所司代酒井忠義及び老中間部詮勝の上京期日並びに京都の事情を問う。
 4 幕府、斉昭公、尾張藩主徳川慶恕、越前藩主松平慶永の処分を決す。
 5 幕府、斉昭公に急度慎を、尾張藩主徳川慶恕に隠居・急度慎を、越前藩主松平慶永に隠居・急度慎を命じ、高須藩主松平義比に命じて慶恕の後を、糸魚川藩主松平直廉に命じて慶永の後を各継がしむ。慶喜公の登城を停めらる。
 6 将軍家定没す。
幕府、水戸藩主徳川慶篤の登営を停む。
 8 幕府、前尾張藩主徳川慶恕、水戸藩主徳川慶篤、斉昭公を処分せしことを奏す。
高松藩主松平頼胤、守山藩主松平頼誠、常陸府中藩主松平頼縄、宗家水戸藩の藩政に参与するの件に関し熟談す。
翌日、三人、大老井伊直弼を訪う。
10 斉昭公の幕譴を蒙るに依り、水戸藩内に動揺の兆しあり、その日、藩士高橋多一郎、同矢野唯之允ら上京す。
11 幕府、水戸藩主徳川慶篤に命じ、在藩の家老鈴木重矩、同太田資春を上府せしめて藩政にあてしむ。
慶篤、家老岡田徳至、同大場景淑、側用人安島弥次郎、藩士茅根伊予之介らを召し、本令の撤回を幕府に請わんことを議し、更に三支藩主の来邸を求む。
19 薩摩藩士日下部伊三次、京都に至る。翌日水戸藩邸に留守居鵜飼吉左衛門らと会す。ついで22日、前内大臣三条実万らを訪い、時務に関して勅諚を幕府に下されんことを入説す。
23 水戸藩主徳川慶篤、父斉昭公の謹慎宥釈の斡旋を高松・守山・常陸府中の三支藩主に依頼す。ついで26日、三支藩主、老中内藤信親を、翌日、同太田資始を訪れ、斉昭公のために嘆願する所あり。
28 幕府、高松藩主松平頼胤、守山藩主松平頼誠、常陸府中藩主松平頼縄及び尾張藩附家老竹越正富、紀伊藩附家老水野忠央、大目付山口直信、目付野々山兼寛に命じて、水戸藩駒込邸を巡視臨監せしむ。
また水戸藩に令して、以後斉昭公の為に赦免の嘆訴をためすことなからしむ。
翌日、藩主慶篤、家老武田耕雲斎、同太田誠左衛門をして、老中太田資始に監視解除を請わしむ。
在府の水戸藩士動揺の説あり、幕府、町奉行に命じて彦根、高松両藩邸を警戒せしむ。水戸藩主徳川慶篤、固く藩士らの動揺を戒む。
ついで8月4日、慶篤再び藩士を慰撫して軽挙を戒む。
 8  1 幕府、水戸藩駒込邸の警固を三支藩藩兵に命じ、また斉昭公を紀伊藩邸に幽閉せんとするの報、同藩邸に達す。藩邸内ために動揺し、藩士ら小石川、駒込両邸を警備す。
 2 老中太田資始、水戸藩家老武田耕雲斎、同太田誠左衛門を招致し、三支藩主などの藩邸臨監解停に関する嘆訴を斥く。
 7 左大臣近衛忠熙、右大臣鷹司輔熙、内大臣一条忠香、前内大臣三条実万及び議奏、武家伝奏、参朝、相議して譲位の叡慮を諌め、ついに勅書を幕府ならびに水戸藩主徳川慶篤に降し、内外の治安をはからしむるに決す。
水戸藩家老太田誠左衛門、同安島帯刀、老中太田資始邸に至り、藩情急迫を訴え、重ねて三支藩主らの藩邸監視を止めんことを請う。
 8 武家伝奏万里小路正房、ひそかに水戸藩京都留守居役鵜飼吉左衛門を招き、幕府匡輔を同藩徳川慶篤に命ずる勅諚を授け、時難匡救の勅書を三家・三卿・家門・列藩などに伝達せしむ。吉左衛門の子幸吉、即日これを奉じて、京都を発す。
浪士梅田雲浜(元小浜藩士)、勅書の水戸藩に降下せし事情を小浜藩士坪内孫兵衛に報じ、藩主酒井忠義の戒心を促す。
10 関白九条尚忠、ひそかに武家伝奏に命じ、水戸藩降勅の事情を副署せしむ。
内大臣一条忠香、幕府及び水戸藩に賜える勅書写しを大坂城代土屋寅直に伝う。
11 右大臣鷹司輔熙、萩藩主毛利慶親に幕府及び水戸藩に賜える勅書写しを伝達す。
12 老中太田資始、水戸藩家老太田誠左衛門、同安島帯刀に達し、重ねて三支藩主らの藩邸監視解除に関する訴願をしりぞく。
14 在京の小浜藩士三浦七兵衛、水戸藩士鵜飼幸吉の勅書を奉じて東下せる状を藩主酒井忠義に報じ、速やかに赴任せんことを請う。
15 大老井伊直弼、側役宇津木六之丞らを町奉行石谷穆清に遣わし、水戸藩の処置に関し議せしむ。
内大臣一条忠香、幕府及び水戸藩に賜える勅書写しを、熊本藩主細川斉護、岡山藩主池田慶政に伝う。
16 水戸藩士鵜飼幸吉、薩摩藩士日下部伊三次と共に、勅書を奉じて、深夜、江戸に着す。翌日、水戸藩主徳川慶篤、これを受け取る。
処士山本貞一郎、前内大臣三条実万に、勅使を関東に下し、大老井伊直弼をやめ、斉昭公、徳川慶恕、松平慶永の謹慎を許すべきを建議す。
18 水戸藩主徳川慶篤、藩奥右筆頭取高橋多一郎、奥右筆亀井宇八をして、勅書を水戸にもたらしめ、老臣らの意見を諮問す。
19 幕府、水戸藩主徳川慶篤の登営停止を許す。
水戸藩主徳川慶篤、勅書の請書及び左大臣近衛忠熙、前内大臣三条実万に致すの書を藩士鵜飼幸吉に授けて上京せしむ。
水戸藩主徳川慶篤老中太田資始、間部詮勝を招き、勅書伝達の事をはかる。資始ら、勅書の幕府にも到れるを告げ、確答せず。翌日慶篤、書を資始らに致し、自藩に賜れる勅書を徳川慶恕に伝達せんことをはかる。
20 水戸藩主徳川慶篤、勅書降下の旨を藩士に告げ、各敬慎すべきを内諭す。
21 高松藩士長谷川宗右衛門、脱藩して京都に至り、処士世古恪太郎、水戸藩京都留守居鵜飼吉右衛門、儒者池内大学と時事を談ず。
23 全国的にコレラ流行す。この日、幕府コレラの治療・予防法を頒布す。
尾張藩附家老竹腰正富、水戸藩邸に到る。
28 水戸藩主徳川慶篤、老中太田資始、同間部詮勝を招き、勅書を徳川三家、三卿に伝達したるも、幕府のこれを諸侯に伝達せざるを詰問す。
水戸藩士鵜飼吉幸吉、使命を果たして京都に帰る。翌日、前内大臣三条実万を訪れ、藩主徳川慶篤の書を呈す。
29 老中太田資始、同間部詮勝、重ねて水戸藩主徳川慶篤を訪い、詮勝の上京して弁明すべきをもって、その勅書伝達を停む。
30 幕府、水戸藩家老太田誠左衛門を招致し、命じて同藩家老岡田徳至、同大場景淑、同武田耕雲斎を隠居、同安島帯刀、同尾崎豊後を表家老となし、在藩家老鈴木重矩を上府せしめ、同太田資春の隠居慎を許さしむ。また紀伊藩附家老水野忠央、尾張藩附家老竹腰正富の水戸藩干与を停め、高松、守山、常陸府中三支藩主にしばしば水戸藩邸に出入して監政の任をつくすべきを命ず。
この月 前内大臣三条実万、斉昭公を副将軍に任じ、大老井伊直弼に上京を命じて、その専断を詰問すべきの意見書を草す。
 9  1 武家伝奏広橋光成、同万里小路正房、関白九条尚忠の命により、7月21日幕府上る所の水戸風説書及び8月8日幕府に賜う所の勅書の添書を奏聞せざりし事に関し、進退を伺う。
 4 水戸藩、勅書奉戴後の事情奏聞のため、家老安島帯刀に上京を命ず。幕府、これを阻止す。
 5 水戸藩士民、幕府の圧制に激昂し、南上する者相次ぐ、同藩家老杉浦羔二郎、側用人久木直次郎、目付伊藤孫兵衛、郡奉行金子孫二郎ら、2日、水戸を発し南上の士民を鎮諭してこれを下総小金駅に抑留し、この日未明、着府し、藩主徳川慶篤に謁して藩地の情状を訴う、慶篤、在藩の家老に命じて士民を鎮撫せしむ。
水戸藩京都留守居鵜飼吉左衛門、同藩士鴨志田伝五郎、同茅根伊予之介に京都の近況を報じ、速やかに勅書写しを諸藩に回達せんことを促す。
 6 水戸藩奥右筆高橋多一郎、同士10余人と水戸を発し江戸に潜行す。
 7 浪士梅田雲浜、京都で逮捕され、安政の大獄始まる。
 8 在京の彦根藩士長野主膳、書を同藩側役宇津木六之丞に致し、水戸藩京都留守居鵜飼吉左衛門、その子幸吉及び鷹司家諸太夫小林良典、同家士兼田伊織、同三国大学を速やかに逮捕すべきを告ぐ。
 9 高松藩主松平頼胤、守山藩主松平頼誠、常陸府中藩主松平頼縄、各水戸藩邸を訪う。
水戸藩士鵜飼幸吉、鷹司家諸太夫小林良典を訪い、内覧近衛忠熙、右大臣鷹司輔熙より勅諚遵奉を幕府に督促し、また輔熙の斡旋をもって勅書を下して斉昭公、徳川慶恕、松平慶永に出仕を命じ、幕政に参与せしめんことをはかる。
10 左大臣近衛忠熙、前内大臣三条実万、相議して水戸藩に賜える勅書写しを薩摩藩士有馬新七に託し、土佐藩主山内豊信に伝え、さらに豊信より宇和島藩主伊達宗城、前越前藩主松平慶永に回達せしむ、この日、新七、これを奉じて京都を発す。
水戸藩家老太田誠左衛門ら出府す。翌日、同白井久胤また到り、藩主徳川慶篤及び高松藩主松平頼胤、守山藩主松平頼誠に藩地及び下総小金駅における土民動揺の状を述べ、鎮撫の急を説く。
13 大老井伊直弼、書を上京途上の老中間部詮勝及び所司代酒井忠義に復して、上京遊説の水戸藩士らを検挙せしむ。
14 水戸藩京都留守居鵜飼吉左衛門、書を在阪の僧忍向に致し、萩、越前、宇和島及び鳥取班などへ勅書写しを回達せる事情を報ず。
15 水戸藩主徳川慶篤、老中太田資始、同内藤信親を招き、三支藩主の藩政干与の解除を求む。また高松藩主松平頼胤、参邸し、幕府の内旨に基づき、京都留守居鵜飼吉左衛門父子召還の事をはかる。
16 幕府、尾張藩附家老竹腰正富に令し、その水戸藩政干与を解くも、なお諸事高松藩主松平頼胤に助力せしむ。
17 前宇和島藩主伊達宗紀、大老井伊直弼を訪れ、高松、守山、常陸府中三藩主水戸藩政干与を止めんことを勧説す。
幕府、水戸藩家老宇都宮弥三郎、同白井久胤を召し、士民南上の理由を糺し、かつ家老鈴木重矩、同太田資春の任用を督促す。翌日、重ねて久胤及び同藩若年寄中山与三左衛門を招き、南上士民の鎮撫を命ず。
18 水戸藩京都留守居鵜飼吉左衛門、その子幸吉、京都町奉行所に拘引さる。ついで20日、吉左衛門らの同藩家老安島帯刀、薩摩藩士日下部伊三次に致したる大老要撃などに関する密書幕吏のために押収さる。
19 水戸藩主徳川慶篤、家老白井久胤、同太田誠左衛門、弘道館教授頭取青山量太郎を小金駅に遣わし、屯集士民に帰藩を諭さしむ。斉昭公、また近臣三輪友衛門を遣わし、慰撫す。
20 老中太田資始、同内藤信親、水戸藩邸にいたる、また、幕府、所司代酒井忠義に命じ、勅書の水戸藩降下及び内覧、関白更迭の議は、幕府において遺憾なりとの意を聞かせしむ。
25 在京の彦根藩士長野主膳、書を在府側役宇津木六之丞に致し、水戸藩京都留守居鵜飼吉左衛門、その子幸吉並びに鷹司家諸太夫小林良典ら逮捕後の京情を告げ、かつ皇女降嫁の議をはかる。
水戸藩主徳川慶篤、家老宇都宮弥三郎を老中松平全乗に遣わして、同藩京都留守居鵜飼吉右衛門父子の無断拘禁を抗議せしむ、翌日、幕府、これを却下す。
26 水戸藩家老白井久胤、同太田誠左衛門、同宇都宮弥三郎、若年寄中山与三左衛門ら、士民 動揺の責を負い閉居す。
30 大老井伊直弼、水戸藩の動静に関し、家士宇津木六之丞を江戸町奉行石谷穆清に遣わす。
この月 水戸藩家老安島帯刀、三条家諸太夫丹波正庸の帰京に際し、ひそかに藩士荻信之介、同小瀬弥一右衛門を遣わし、時事匡正の策を致さしむ。
この頃 水戸藩士梶八次郎など同藩士ら、幕府の圧制に憤激して自刃するもの多し。
10  3 幕府、水戸藩に命じ、同藩郷士太宰清右衛門、同郷士木村三穂之介を町奉行所に出頭せしむ、翌日、同藩、その失踪せる旨を上申す。
 7 これより先、水戸藩若年寄興津良能、尾張、紀伊両藩に書を送り、幕府の、京都留守居鵜飼吉左衛門父子を無断繋獄せるを報じ、かかる前例の有無並びに所見を問う。
11 これより先、水戸藩士高橋多一郎、同金子孫二郎ら、奉勅義挙の義盟を西南諸藩に求めんことを議し、同住谷寅之介、同大胡聿蔵、同矢野長九郎、同関鉄之介をして遊説せしむるに決す。
この日、4人江戸を発し、寅之介、聿蔵は南海、西海二道に、長九郎、鉄之介は北陸、山陰、山陽三道に向かう。
18 幕府、水戸藩士太宰清右衛門の妻せい、その同居人雷助を牢屋敷預に処す。
25 徳川家茂、征夷大将軍、内大臣に任ぜらる。
29 水戸藩士鈴木安之進、同藩過労安島帯刀を訪れ、諸藩と結び、事を図るべきを説く。
11  1 水戸藩士関鉄之介、同矢野長九郎、福井に到る。翌日越前藩士野村淵蔵らに会見し、除奸義挙の策を議す。
水戸藩士住谷寅之介、同大胡聿蔵また到るも、共に会せずして、鉄之介らは鳥取に、寅之介らは大阪に向かう。
 6 水戸藩側用人久木直次郎、同郡奉行金子孫二郎、同藩士野村彜之介ら、出府して、藩主徳川慶篤に藩情を報告す。
17 水戸藩士住谷寅之介、同大胡聿蔵、土佐国長岡郡立川村に到る。
ついで23日、土佐藩士坂本龍馬、同窪為介、同甲藤馬太郎らと会見し、奉勅義挙の事をはかる。
26 水戸藩家老白井久胤、斉昭公の解慎に関し、老中松平乗全を訪う。
29 水戸藩士矢野長九郎、同関鉄之介、鳥取に到る、滞在中、鳥取藩士堀庄次郎、同安達清一郎としばしば相会して、義挙の事を議す、処士桜任蔵、また潜行して来る。
12  5 長州藩、老中間部詮勝襲撃を計画せし吉田松陰を投獄す。
幕府、水戸藩京都留守居鵜飼吉左衛門、その子幸吉らを江戸に檻送す。
 8 水戸藩士住谷寅之介、同大胡聿蔵、宇和島に到り、宇和島藩士金子孝太郎と会し、国事を議す、滞在数日、しばしば孝太郎、同高間権八らと会見し、12日出立す。
19 水戸藩士鵜飼吉左衛門ら、江戸に着す、幕府、吉左衛門、絵師宇喜多可為、その子松庵、儒者池内大学を大聖寺藩に、水戸藩士鵜飼幸吉、鷹司家諸太夫小林良典、同家士兼田伊織、同三国大学を高田藩に付預す。
水戸藩若年寄中山与三左衛門、同藩士矢野唯之允、高松藩主松平頼胤を訪う、ついで21日、同藩家老興津蔵人、同奥右筆頭取高橋多一郎、常陸府中藩主松平頼縄並びに守山藩主松平頼誠を訪問す。
水戸藩士住谷寅之介、同大胡聿蔵、徳島に到る、ついで、徳島藩士佐藤兵馬、同堤大介と会し、国事を議す。
20 水戸藩若年寄肥田其太郎、藩情具陳のため出府す。
28 水戸藩、藩主徳川慶篤の登営を許さん事を請う、この日、幕府許さず。
29 水戸藩士矢野長九郎、同関鉄之介、萩に到り、長州藩士赤川直次郎らとしばしば相会し、奉勅除奸義挙をはかる、ついで翌年1月7日、長九郎ら、萩を去りて上国に向かう。
この月 水戸藩士民、再び動揺の兆しあり、藩主徳川慶篤、しばしばその軽挙を戒む。
水戸藩士豊田天功著『北島志』成る。
水戸藩士栗田寛、彰考館に入る。