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水戸から見た関連年表#2

慶喜公18歳~21歳(安政元~4年・1854~57)  
 年   月  日  記  事
安政元  1  1 水戸藩主徳川慶篤、あらかじめ米艦の再来を藩士に告げて戒め、冗費節約、武備厳修を期せしむ。
 4 水戸藩、幕府の命を受け、江戸石川島に於て軍艦の建造に着手。
16 ペリー軍艦7艘を率いて江戸小柴沖に投錨す。
17 水戸藩主徳川慶篤の弟松平昭融、米艦視察のため、浦賀に微行す。
23 老中阿部正弘、斉昭公に米使の態度強硬なるを告げて、漂民の援助を許容するほかに、貯炭場として無人島を貸与するの私見をはかり、かつ藩士石川和介をして水戸藩士藤田東湖に説かしむ。
この日、斉昭公書を復してこれを不可となし、かつ応接方法及び海岸防備につき所見を述ぶ。
28 幕府、有司及び斉昭公、溜詰諸侯ら登営、米国に対する措置を議す。
この月 尾張藩主徳川慶恕、書を斉昭公に寄せ、神宮警守の薄弱なるを告げ、津藩主藤堂高猷をして在城これが任に当たらしめんことをはかる。
 2  2 幕府勘定奉行松平近直、海防係江川太郎左衛門、神奈川より帰府、直ちに登営して米国に対する措置を議す。
斉昭公また幕議に参ず。後、斉昭公、交易を許すの不可を論じ、さらに急務7箇条を建議す。
 4 幕府、米使応接係林某、同井戸覚弘を召還し、米使応接の事を議す。
斉昭公また議に参ず。林ら、切に和親の利を説く。
翌日再議す、斉昭公登営せず。
 6 斉昭公、登営す。幕議、米国に和親通商を許さざるに決し、応接係ら再び神奈川に赴く。
 7 斉昭公、あらかじめ在府の藩士に諭して、米艦に対する非常準備を講ぜしむ。
12 これより先、越前藩主松平慶永、米国に対する措置につき老中阿部正弘に警告するところあり。すでに横浜応接の開始を聞くや、鳥取藩主池田慶徳、徳島藩主蜂須賀斉裕、熊本藩主細川斉護らの同意を求め、この日、正弘を訪い、通信交易拒絶の幕議を確立せんことを説き、また翌日、尾張藩主徳川慶恕に書を寄せて、老中松平忠優に勧説せんことを促す。この間、水戸藩士藤田東湖、福井藩士鈴木主税、同中根靱負、熊本藩士長岡監物ら、斡旋につとむ。
15 斉昭公、江戸石川島に建艦の状を視察す。
20 斉昭公、下田開港の議あるを憂い、覆議を幕府に建言す。翌日、斉昭公、米使応接係林、井戸の帰府せると営中に会し、重ねて前説を提議す。
21 松代藩士佐久間象山、下田開港の議あるを聞き、幕府目付堀利忠、越前藩士中根靱負、及び水戸藩士藤田東湖を歴訪して、その不可を論じ、横浜開港の可なる所以を説く。
22 米使応接係林・井戸登営し、老中及び斉昭公らと会議す。すなわち下田開港に決し、翌日神奈川に赴く。
26 大坂城代土屋寅直、同町奉行石谷穆清、同佐々木顕発ら、摂津、和泉、播磨の三国の海岸防御意見を幕府に具申す。
27 関白鷹司政道、武家伝奏三条実万ら、内旨を斉昭公に伝えて、京都守衛を幕府に督励せんことをはかる。斉昭公、その身嫌疑あるをもって直ちに朝命を幕府に下されんことを答う。
 3  3 米使応接係、神奈川の応接所に於て日米和親条約を締結調印す。
18 斉昭公、海防参与の辞任を幕府に請う。
27 吉田松陰、下田にて踏海を再度決行するも成らず。
 4 12 老中阿部正弘、将軍家定の命により辞職の意をひるがえす。政弘、これを斉昭公に報ず。
30 斉昭公の願いにより連日の登営を免ず。
この月 薩摩藩主島津斉彬、越前藩主松平慶永、宇和島藩主伊達宗城ら、書を尾張藩主徳川慶恕に寄せ、斉昭公と協力幕政を振粛せんことを勧説す。
 5  9 幕府勘定奉行松平近直、同川路聖謨、老中阿部正弘の意を受けて斉昭公を訪れ、米国と条約締結の事情を弁明し、再び出でて幕議に参ぜんことを勧説す。
10 水戸藩主徳川慶篤父子、江戸石川島造船所及び品川砲台を巡視す。
17 斉昭公、再び登営し、老中阿部政弘らと会して神奈川条約の改定を議す。要領を得ず。以後斉昭公また登営せず。
25 米使応接係、下田条約13箇条を調印す。
26 老中阿部正弘、幕府財政の実情を斉昭公に示し意見を問う。
この月 水戸藩、家老白井織部、砲術師範福地政次郎、郡奉行金子孫二郎らに反射炉建築用係を命じ、盛岡藩士大島惣左衛門、薩摩藩士竹下清右衛門、三春藩士熊田嘉門を招聘して、そのことを担任せしむ。
 6  5 老中阿部正弘、幕政改革案37箇条を草し、斉昭公及び諸有志にはかる。斉昭公及び勘定奉行松平近直、同川路聖謨、目付鵜飼長鋭、同一色直温、同岩瀬忠震、同大久保忠寛ら、各意見を具す。
 9 宇和島藩主伊達宗城、斉昭公を江戸小石川邸にたずね、時事を談ず。
13 福井城下、大火数千戸、尾張藩主徳川慶恕、斉昭公、宇和島藩主伊達宗城ら、藩主松平慶永を慰問し、かつ時事を報ず。
26 幕府、松前藩領函館及びその付近を直轄地とする。
この月 禁裏造営にあたり、朝議、防火空地設置の内命を幕府に下す。
斉昭公、薩摩藩主島津斉彬ら、朝議を助けて斡旋す。
 7  5 将軍家定、斉昭公に命じて、軍制改革の事に参画せしむ。
 9 幕府、日章旗をもって日本国総船印となす。
21 幕府、品川砲台三基竣工につき、役人の見分をゆるす。
23 これより先、斉昭公、異国人北蝦夷地を退去せば、有志を移住せしめて開拓せんことを建議す。
函館奉行竹内保徳、諮問に答え、松前蝦夷地用係堀利熙、同村垣範正らの帰府復命を待って決せんことを上申す。
閏7 23 幕府、和蘭別段風説書及び英艦長崎渡来に関する報告書類を斉昭公に内示す。
27 老中牧野忠雅、特に勘定奉行松平近直、同川路聖謨を斉昭公に遣わして、英艦長崎渡来の状を告げ、措置意見を問う。斉昭公は英艦の長崎・函館・下田入港を許可し、他港においてはこれを撃攘すべきを述ぶ。
 8  6 土佐藩主山内豊信、元納戸頭羽倉外記、水戸藩士藤田東湖、山形藩士塩谷甲蔵らを邸に招き時事を談ず。
20 斉昭公、藩士荻信之介、同菊池富太郎らを長崎に派遣しオランダ人について操船の業を習わせる。
23 幕府、長崎で日英約定を結び、長崎・函館2港を開く。
 9  2 幕府、オランダに長崎のほか、下田、函館の二港を開く。
19 大阪町奉行組与力応接掛太田資五郎ら、露艦ディアナに至り来意を問う。
使節プチャーチン、書簡の受理を求む。
京畿擾動し、城代土屋寅直、定番米倉昌寿、同田沼意尊及び付近の諸侯、諸藩の蔵屋敷の留守居ら、各要衝に出兵警戒を厳にする。
22 幕府、大阪城代及び同町奉行に令し、露艦を長崎、下田二港の内に回航せしめ、所司代に命じて禁裏警衛に遺漏なからしむ。
24 大阪城代土屋寅直、大阪町奉行佐々木顕発、同川村修就らと議して、プチャーチンの書簡を斥け、下田回航を諭すべきに決し、所見を具して幕府に上申す。
10  1 斉昭公、藩士豊田天功の『北島志』を老中阿部正弘に贈り、外警を戒む。
 8 露艦退去により、天保山警備の諸藩撤収。
20 大阪城代土屋寅直、三開港場以外における外船の停泊の禁止を幕府に建議。
29 幕府、斉昭公の毀鐘鋳砲の建議をいれ、京都所司代脇坂安宅に命じて朝旨をうかがわしめる。
この月 斉昭公、しばしば石川島に赴き造艦を督励。
12 21 露使応接掛、下田において日露和親条約に調印。
安政2  1  9 斉昭公、勘定奉行川路聖謨に北地の定境を促し、かつ露使応接の結果を問う。
11 聖謨、これの報告をなす。
15 斉昭公、日露修好条約中、領事駐在を規定するを難じ、覆議を老中牧野忠雅に建言する。
 2 16 水戸藩新造艦(後に旭日丸と命名)の船霊祭を石川島にて行い、横浜に移して艤装を行う。
21 水戸藩主慶篤、藩士、船匠などを戸田村に遣わし、露船の見学を幕府に請い許される。
22 幕府、松前藩領の居城付近を除く蝦夷地全土を直轄地とする。
28 斉昭公、権大納言二条斉敬に書を送り、外警に対する意見を述べる。
 3 29 斉昭公、幕府に書を送り、蝦夷地経営に関する函館奉行堀利熙の上申につき、所見を述べる。
 4 16 米国軍艦ヴィンセンズ、常陸海岸に現れる。
斉昭公、外船処置に関する意見書を幕府に提出。
 5  4 斉昭公、米艦大挙渡来の風説あるをもって、藩内にますますの警備を諭す。
 6 斉昭公、登城し、米国領事の渡来前に、あらかじめその措置の決定を老中に警告す。
16 斉昭公、老中阿部正弘に書を呈し、領事駐在拒否を議す。
 6  6 斉昭公、米艦の沿海測量及び領事駐在に対する措置意見を老中久世広周に述べ、また諸侯に諮問すべき草案を示す。
30 斉昭公、幕府要路の人事異動を老中阿部正弘にはかる。
この月 津藩主藤堂高猷、斉昭公に書を寄せて、兵制改革及び時事に関する意見を述ぶ。
 8 14 幕府、斉昭公に改めて政務参与を命じ、特に隔日登城を命ず。
16 斉昭公、幕府の命により登城、老中以下諸有司とともに専ら諸政の改革を議す。
この月 水戸藩主慶篤、安芸の人、下間良弼を招いて蘭学講習を開く。
 9 19 水戸藩主慶篤、藤田東湖に学校奉行兼務を命ず。
21 水戸藩主慶篤、父斉昭公と共に横浜に遠乗りし、大船建造の工程を検分す。
10  2 この夜、江戸大地震、水戸藩家老戸田忠敞、側用人藤田東湖、江戸小石川邸に圧死す。
 5 斉昭公、改刻『大日本史』37巻を朝廷に献ず。
 6 斉昭公、屯田農兵に関する意見を幕府に上申す。
16 越前藩主松平慶永、斉昭公に頼り、参勤交替制の変更など、諸制の改革を建議す。
12  3 慶喜公美賀君と婚す。
15 慶喜公、参議に任ぜられる。
23 長崎奉行ら、長崎で、日蘭条約27款に調印す。
この月 越前藩士橋本左内、江戸藩邸に在り、水戸藩士原田兵介、薩摩藩士西郷隆盛、幕府代官林伊太郎らと時事を談ず。
この年 伊勢・おかげまいり流行。
安政3  1 25 元水戸藩家老結城寅寿の与党谷田部雲八ら、禁固中の寅寿と通じ、藩主慶篤父子に不利を図り、再び藩政をほしいままにせんとし、事あらわれる。
 2 21 元幕府普請改役庵原亮平、斉昭公の求めにより、函館奉行竹内保徳に従って蝦夷地を巡検し、その日誌を提出す。
 3  4 南部藩士大島高任、水戸藩反射炉で、石炭を用いて銑鉄溶解に成功。
15 川路聖謨、慶喜公に『嚶鳴館遺草』を呈して下情に通じ直言の臣を用い、人材を登用すべき旨を言う。
この月 水戸藩主慶篤、藩の反射炉において、初めて臼砲を鋳る。
 5 この月 斉昭公、刻本『大日本史』を諸国大社及び公卿諸侯らに贈る。
 7 12 幕府の命により建造せる水戸藩の軍艦竣工し、旭日丸と命名す。
21 駐日米総領事ハリス、下田に来航す。
28 慶喜公、書を生母文明夫人に呈し、斉昭公の幕府参与辞退を勧む。
 8 14 斉昭公、備荒のため領内に命じ義倉を設置せしむ。
24 幕府、ハリスの駐在を許可、斉昭公にその事情を告げる。
 9 17 老中阿部正弘、勘定奉行川路聖謨、同水野忠徳、目付岩瀬忠震を斉昭公のもとに遣わし、外交事情を報じ協議せしむ。
19 斉昭公、警備外患及び京都守護に関する所見を幕府に建議。また尾張藩主徳川慶恕、越前藩主松平慶永、鳥取藩主池田慶徳に書を寄せこれをはかる。
10  3 准三宮鷹司政通、武家伝奏三条実万、同東坊城聡長を招き、斉昭公の報ずる外交事情を内示する。またひそかに斉昭公の書を叡覧に供す。
 6 越前藩主松平慶永、書を尾張藩主徳川慶恕、阿波藩主蜂須賀斉裕らに送り、将軍継嗣に一橋慶喜を推すことに協力を求む。
この月 水戸藩士会沢正志斎、対外措置及び銃陣改良などの意見を斉昭公に上る。
12 17 水戸藩士豊田天功の『北島志』成る。
安政4  3 11 薩摩藩主島津斉彬、一橋邸に来り、慶喜公に謁す。
27 斉彬また一橋邸に来り、深く慶喜公の徳に服し、後に越前藩主松平慶永に書を贈り、早く西城(将軍継嗣)と仰ぎたしという。
 5  5 水戸藩小石川上屋敷において慶喜公を主客に斉昭公が亭主になって茶会、この席で斉昭公は水戸家の庭訓を再確認する。(ア・ラ・カルト part1 参照
 8 慶喜公、再び書を文明夫人に呈し、参与辞退を促す。
閏5 11 斉昭公、海防参与を辞せんことを幕府に請う。
 6 11 土佐藩、財政窮乏のため藩士に半知借上を命ず。
17 老中阿部正弘卒す。
 7 23 幕府、斉昭公の願いにより海防軍制の改革などの参与を免ずる。
24 幕府、米国総領事ハリスの上府許可を三家に内達す。水戸藩主慶篤父子、上書してその不可なるを述ぶ。
 9 18 斉昭公、軍艦旭日丸に試乗す。
10 16 越前藩主松平慶永、宇和島藩主蜂須賀斉裕連署して慶喜公を継嗣とせんことを幕府に建議す。
25 薩摩藩主島津斉彬もこれを建議す。
11 13 斉昭公及び水戸藩主慶篤、ハリスの要求に関する幕府の措置が、征夷の任に反するものあらば、幕府は朝廷及び諸侯に対し責を負うべきを警告す。
15 斉昭公、書を老中堀田正睦に致し、大艦大船建造の必要を論じ、自ら米国に赴いて交易を開始せんことを提議す。
この月 刊行を差し控えていた会沢正志斎の『新論』発刊。
12  1 水戸藩主慶篤、軍艦旭日丸を幕府に引き渡す。
20 水戸藩の那珂湊に建造中の2基目の反射炉、竣工す。
21 ハリス始めて出府し将軍に謁す。
23 水戸藩主慶篤、幕府の諮問に対して京、大阪に外国商館の設置を許すがごときは、最も不可なりと答う。
25 薩摩藩主島津斉彬、慶喜公の継嗣たらんことを幕府に建議す。
29 幕府、勘定奉行川路聖謨、同永井尚志らを水戸藩邸に遣わし、慶篤父子に条約改定のやむをえざる理由を陳述せしむ。