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水戸から見た関連年表#1

慶喜公15歳~17歳(嘉永4~6年・1851~53)  

 年   月  日  記  事
嘉永4  3 16 斉昭公、初めて一橋邸に行く。
 9 26 幕府、斉昭公の長崎へ注文せし望遠鏡買い入れにつき許可す(新伊勢物語)
11  2 将軍家慶、一橋邸に臨む。
22 水戸藩主徳川慶篤、将軍家慶の養女幟子に納采。
12 19 吉田松陰笠間を経て水戸に来り永井政助方に逗留。
翌年1月20日奥州白川に向けて出発するまで、会沢正志斎・豊田天功などについて水戸の学を学ぶ。
この間に熊本藩士宮部鼎蔵も松陰に合流奥州へも同道。
後の書簡に(急ぎ帰りて六国史を読む)と記している。
嘉永5  2  5 慶喜公、前髪を除く。
12 斉昭公、家老に庶政改革、有司登用を諭す。
30 水戸藩『大日本史』紀伝173冊を朝廷に献上。
閏2 18 将軍家慶、一橋邸に臨む。
 4 11 奥御能あり、将軍自ら船弁慶を舞い、慶喜公には知章を舞わしむ。
 6 この月 斉昭公、朝廷に大地球儀を進献。
(ちなみにこれは明治天皇の御即位式の折、紫宸殿の高御座の前に置かれた。)
斉昭公、蓄穀の減退を憂い、蔵奉行を戒む。
 7 21 将軍家慶、大川筋に赴き、一橋家の浜町屋敷に臨む。
この月 蘭人、書を呈して、米国まさに軍艦を発して通商を求めんとするを以て、強いて拒まば禍端をひらくべき旨を告ぐ。
 9 21 慶喜公、将軍家慶に従いて、駒場野に赴く。
10 22 越前藩主松平慶永、書を斉昭公に致して、海防意見をもとめ、かつ幕府へ献策せんことを勧む。
11 18 斉昭公、松平慶永に復書して海防のことにつき、建議し、持論の大意を述ぶ。
22 将軍家慶、斉昭公に不時登城を命じ、これを饗す。
23 登城を命ぜられし礼として、老中阿部正弘に『大日本史』一部と鮮魚を送る。
30 江戸滞在中の薩摩藩主島津斉彬、弟久光に米艦来航を予告し、非常警備を命ず。
12 14 将軍家慶の養女幟子、水戸藩主徳川慶篤と婚す。
28 斉昭公、書を松平慶永に復して、皇道の大義を述ぶ。
嘉永6  4 19 米国東インド艦隊司令長官ペリー、軍艦4隻を率いて、琉球那覇に来航。
 5 18 慶喜公、一条忠香養女延君と婚約、ついで延君を美賀君と改む。
 6  3 ペリー浦賀に来航す。
 4 松平慶永、書を斉昭公に致して、米国に対する処置を議す。以後しばしば書信を交換す。
 5 老中阿部正弘、米艦渡来の状を斉昭公に告げ、処置意見を問う。宜しく衆に図りて決断すべきを復す。
 6 将軍家慶、病あり、老中ら議してあまねく米艦の事を秘す。この日、老中阿部正弘、はじめてこれを告ぐ、家慶すなわち正弘に命じて斉昭公に議せしむ。
 7 老中阿部正弘、斉昭公を駒込邸に訪れ、家慶の命をもって米艦の処置を問う。
斉昭公、その議に参ずべきを答う。
この日、松平慶永も、斉昭公の意見を徴すべきを正弘に勧説す。
 9 ペリー、久里浜に上陸し、米大統領フィルモアの親書を幕吏に渡す。
13 老中阿部正弘、米艦退去を斉昭公に報じ、以後のはかりごとを問う。
14 老中阿部正弘、海防掛川路聖謨、同筒井政憲を斉昭公に遣わし、米艦退去後の措置を議せしむ。ついで18日、二人、また訪う。
幕府目付戸川安鎭、同鵜殿長鋭、同大久保市郎兵衛連署して、斉昭公を幕政に参与せしめんことを幕府に建議す。
15 幕府、ペリー来航を奏聞す。
16 老中阿部正弘、斉昭公を起用して幕政に参与せしむるの議を提す。斉昭公、老中阿部正弘にはかり、大砲数十門を江戸小梅邸に送致して、防備に充つ。
19 斉昭公、書を海防掛川路聖謨に寄せ、大艦製造の議に賛同せんことを求む。
22 将軍家慶没す。
斉昭公、幕府大事の際、たやすく国書回答し難き所以を、長崎在留蘭国カピタンに託して、米国政府に通告せんことを幕府に建議す。

23 越前藩主松平慶永、書を老中阿部正弘に致し、斉昭公を将軍世子の補佐に任じ、時の難儀を切り抜けんことを幕府に勧説す。
30 老中阿部正弘、斉昭公を江戸駒込邸(註・今の東大農学部)に訪ね幕政に参与せんことを求む。
 7  1 老中阿部正弘、米国国書の返書に関し、諸大名の意見を求む。
 3 幕府、斉昭公に、海防の幕政参与を命ず。
幕府、斉昭公をして隔日登営して、海防の議に参与せしむ。
 5 斉昭公登営し、将軍世子徳川家祥に謁し、老中と海防を議す。
 8 斉昭公、海防の大本に関する意見10条を建議す。
10 薩摩藩主島津斉彬、米国国書の回答及び海防充実等に関する意見数条を斉昭公に示し、また尾張藩主徳川慶恕に軍艦建造及び斉昭公の海防参与を幕府に建議せんことを説く。
18 露国使節プチャーチン、軍艦4隻を率いて長崎に来航す。
20 斉昭公、軍艦の模型を幕府に提示す。
水戸藩、藩士戸田銀次郎、同藤田東湖に定府(註・江戸在勤)を命じ、斉昭公の幕政参与を助けしむ。
22 松平慶永、営中にて島津斉彬と会し、共に慶喜公を将軍の継嗣となすに尽力せんことを約す。
23 斉昭公、幕政改革を戸田銀次郎、藤田東湖に問う。
25 老中阿部正弘、艦船建造の事を斉昭公にはかる。
27 関白鷹司政道、書を斉昭公に寄せて、幕政参与に力をつくさんことを嘱す。
この月 尾張藩主徳川慶恕、書を老中阿部正弘に寄せて、国事内外の別なく斉昭公に諮問し、かつ大礼にあたり、諸侯の儀礼を省略すべきを言う。
 8  1 幕府、露国軍艦に対する措置を斉昭公に問う。斉昭公、長崎奉行をして、国書を受領せしむべき案を具してこれに答う。
 3 斉昭公、海防意見書13箇条を幕府に建議す。
 5 斉昭公、筒井政憲らの親露説を非難して、幕府の反省を促す。
 6 斉昭公、海防参与を辞せんことを老中阿部正弘に告ぐ。正弘これを止む。
 7 尾張藩主徳川慶恕、江戸の戸口を減少せしむるため、諸侯の妻子を帰邑せしむる議を斉昭公にはかる。
10 海防掛の勘定奉行、同吟味役ら、斉昭公の海防意見13箇条に対し、意見を述ぶ。
12 慶喜公、斉昭公に書を呈し、この頃自分が将軍継嗣たらんの風説専らなるをもって、登城の節、この説を聞かば固く差し止められんことを乞う。
14 老中阿部正弘、斉昭公の意見により、自ら海防大号令案を草して斉昭公の同意を求む。この日、斉昭公、これを添削してその発令を促す。
水戸藩主徳川慶篤、洋式端艇を幕府に献ず。
20 斉昭公、しばしば幕府下士らの窮乏救済の要を進言す。この日、その方策を勘定奉行松平近直、同川路聖謨にはかる。
24 幕府、品川台場築造に着手す。
26 幕府、大船建造解禁に関し、法令の改正を審議せしむ。ついでその成案を斉昭公に示して同意を求む。
29 島津斉彬、書を斉昭公に寄せ、その幕政参与を賀し、併せて時事急 務数条を述ぶ。
この月 幕府、江戸湯島に鋳砲場を設く。
老中阿部正弘、斉昭公の間に、軍艦建造を水戸藩に委託し、かつ軍艦購入のため、邦人を海外に派遣せんとの議起こる。

 9 15 幕府、大船建造の禁を解く。
25 幕府、書を長崎在留の蘭人に託して米国に贈り、再渡の期を猶予せんことを求む。
この月 斉昭公、特に吏員を長崎に派遣して、露使と応接せしむべきを幕府に建議す。
斉昭公、土佐藩・中浜万次郎(ジョン万次郎)を小石川水戸藩邸に召して、海外の事情及び艦船に関する事項を問う。
10月6日、また同じ。
10 12 斉昭公、地球儀を幕府に献ず。
18 幕府、斉昭公に大砲74門の献納を許す。
19 斉昭公、海防参与を辞せんことを請う。幕府許さず。
23 徳川家定、征夷大将軍、内大臣に任ぜらる。
30 水戸藩主徳川慶篤、軍艦雛形を幕府に献ず。
11 12 幕府、水戸藩に命じて大船を建造せしむ。
14 阿部正弘以下老中、若年寄、江戸湯島桜之馬場鋳砲場に新造の大砲を検分す。
ついで16日、斉昭公これを見る。
12  5 プチャーチン、軍艦4隻を率いて、再度長崎に来航す。
幕府、墨田川河口石川島を造船所敷地に決め、水戸藩にその設立、運営を委託す。

 6 中浜万次郎、幕府御普請役格にて、外交文書の翻訳にあたる。
15 水戸藩、幕府へ献納する大砲74門を納入する。