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part8

大河ドラマ
 part8


  • 反 射 炉 跡

 那珂湊市上ノ山(那珂湊市市街の南側)に所在。県立那珂湊第一高等学校の敷地の裏にある。写真は昭和12年に復元された反射炉の模型である。
 江戸時代の後期、文政期頃から、水戸藩の那珂湊沖にもしばしば異国船が出没するようになり、藩では早くから海防の必要を唱え、その備えに力を尽くしていた。
 天保13~4年(1842~3)頃には徳川斉昭公の命で、銅製の大砲75門が鋳造され、嘉永6年(1853)ペリー来航の時には、江戸湾防備のため幕府へ74門が献上された。(残りの一門が常磐神社に現存)
 しかしペリー来航の後、海防問題はいよいよ切実となり、鉄製の大砲の必要性が増してきたため、溶鉱炉の建設を進める事となった。
 工事は、南部藩士大島総左衛門、薩摩藩士竹下清右衛門、三春藩士熊田嘉門を招いて行われ、安政元年(1854)に起工して翌年第一炉、同4年に第二炉が完成した。高さ15メートル余、使用したレンガは約4万枚に及んだという。
 ここで鋳造された大砲は28門といわれ、各地の砲台に備えられ、幕府にも献納された。
 その後、この反射炉は元治甲子の変(1864)で崩壊してしまったが、大正5年由来を記した碑が建てられ、さらに昭和12年に原型にもとづいて模型が復元された。