part4
大河ドラマ、 ア・ ラ・ カ ル ト
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「ぬけまいり」とも言われたが、伊勢神宮のお札が天から降って来たという噂を契機として、多数の参宮者が全国から押しかけた。川柳に「何事のおあしも持たず伊勢参り」とあるように、お蔭参りは、ほとんど無銭で参宮がはたされたので、我も我もと家を飛び出し、僅かの期間に2~3百万人から4~5百万人の群衆が、伊勢を目指して街道にあふれた。これの意義は、この時代すでに生涯一度の参宮習慣が一般化しつつあり、人々の義務とさえみられるようになっていたにもかかわらず、なおこれを実現し得ない貧しい民衆の声が、自然に作り出した社会現象で、この現象の意味するところは、農民や商家の雇人などの経済的貧困者にたいし、参宮の機会を与えたところにある。
特に期年はないが、お蔭のいただける有り難い年(お蔭年)として、慶安3年(1650)以来、幕末までおよそ5~60年おきに数回見られた。なかでも、慶安3年・宝永2年(1705)・明和8年(1771)・文政13年(1830)・慶応3年(1867)の5回が最も著しく、宝永2年のときは375万人に上ったと記録されている。
「おかげまいり」の意味は、お伊勢様のお蔭を感謝するという意味と言われ、子は親に、妻は夫に、奉公人は主人に何の許しも得ず、飛び出し、参宮するものも多かった。しかも、道中歌い踊り歩き、衣装には趣向をこらし、大神宮の近傍には遊女屋が軒を並べる状態で、次第に観光的となって行った。とにかく突発的に起こって、広く伝播したものであったらしい。要するに、宗教的熱狂の中に、民衆の不満発散という役割も持っていたようで、多くは時代の変わり目(世直し)の時に起こりやすいといわれている。

