HOME >大河ドラマ・ア・ラ・カ・ル・ト >part19

水戸光圀公と斉昭公

境内のご案内

常磐神社について

水戸のご案内

歳時記~季節の写真~

蔵~資料館~

写真館

English

お問合せ

水戸学

水戸学FAQ

祭事・催事・行事

サイト内検索

RSS配信中

part19

大河ドラマ
 part19


  • 天狗党の結末について



 元来かゝる変事の常陸に起りしは、詮ずる所公辺に於て水戸家の御処置宜しからず、天下の動揺のみならず、宸襟を迄悩し奉るに至り候ひしなり。能々処置すれば百万の軍にも当るあたら勇士を、駕馭する道を失ふて、討伐の止む可からざるに至れる事、自ら放つ天下の勢にて、其責誰にか帰し申すべき哉(徳富蘇峰「近世日本国民史」)


 慶応元年二月十一日、敦賀の惨刑を聞いた大久保利通はその日記にこう記している。
 常野浪士は、越前敦賀の土蔵に押込、去る四日に武田始廿七人尽刎首、七日迄に七百余人几て死刑に処し、殺尽いたし候由、其取扱苛刻を究、衣服を割取、赤身になし、束飯にて獣類の会釈に候由、是は田沼取計にて、橋公辺えは全く談合に不及候由、実に聞に不堪次第也。是を以幕滅亡の表と被察候。


 幕府側でも勝海舟は
 特に惜む、政府其事の大に発せざるに当り、公平至誠両道を考査し、惇々戒諭、按撫の策に出ずして其一方を助け、俄に官兵を発して剿誅せんとするに至りては、彼れ騎虎の勢、自新の途を開くに由なく、不得止してこれに抵抗するに至らしめ、多数有為の士をして玉石共焚の惨禍に陥れ、其降伏の後も酷刑に失し、之が為志士一層憤慨の心を激動し、往々邦家の不利たるを思はざるは、余の深く遺憾とする処なり。


 徳富蘇峰はまた、
 天下の大局から、此の一挙の顛末を考察すれば、幕府の瓦解に一大拍車を加へたるものと断言せねばならぬ。所謂俗吏時勢に通せず、天下の大勢は非常なる速力もつて推移しつゝあるに拘らず、幕吏は尚ほ昔ながらの幕吏として、妄りに時勢と逆行するの施為を敢てし、遂ひに天下の人望を絶つに至らしめた。然も筑波義徒が半歳以上に一且りて、幕府は固より、天下の大小名環列の間を横行潤歩したる行動は、実に幕府の与みし易きを天下に向つて一大宣伝したるものにして、幕府が如何に酷法苛刑もて之を払拭せんとするも、却て其の弱点を暴露し、反感を刺激するに過ぎなかつた。筑波一党の目的は攘夷にありて、倒幕ではなかつたが、その結果は攘夷にあらずして、倒幕となつた。