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「徳 川 慶 喜 公---その歴史上の功績---」

【総題】「徳 川 慶 喜 公 ---その歴史上の功績---」について
            水戸史学会会長  名 越 時 正

 このたびは来年にNHKのドラマ化が決まったということで、たいへんなブームを起こしていますが、そればかりでなく実は今年は慶喜公の生誕百六十年、それと慶喜公が最も苦心された「大政奉還・王政復古」から百三十年に当たります。そういう関係がありまして、本年の水戸学講座は「徳川慶喜公の歴史上の功績」ということを総題としまして、五人の先生方が担当して講義を受け持つことになりました。
 さてそこでですね、この総題を決めましたことについては、武浪宮司さんの熱心なご希望がひとつありました。それと生誕の記念ということがなくても、どうしても知っておかなければならないことがあるのではないか。殊に大河ドラマ、これは司馬遼太郎氏の『最後の将軍』が脚本のもとになると思いますが、どうもこれを読んでみるとなにか物足りないものがある。特に水戸人にとりましては、こういうことを感じる人が少なくないと思います。皆さんもよくご存じだと思います。そういう意味で本当の慶喜公を知るには、どうしても水戸の精神が判らなければ出来ない、ということを私は感じまして、この総題を決定したわけです。
 慶喜公に関する書物はいろいろ出ていますが、中にはじつにひどいのがあります。これで日本人かといえるような、激しいというかひどい内容であります。それを読んでみますと、---明治維新なんてものはなくても良かった。むしろあれがあるんでずいぶんわれわれが拘束された---これは左翼の連中ですからそう思うんでしょうが、そういうことを堂々と本に書いて出版する者がいるんです。これが日本の現状です。こういうことがもし慶喜公自身が知られたら、どんなに嘆かれるか。
 慶喜公自身は、晩年はともかくとして、お若い頃から非常に苦労された。いろんな毀誉褒貶(きよほうへん)のなかで思想を一貫しようとして努力された。その基はお父さんである烈公さまの教え、さらに遡っては義公さまの教え。つまり水戸の精神であったわけです。それがあったために、やることなすことが世の中からごうごうたる非難を受けるのです。おそらく慶喜公はそういう中でずいぶん苦しまれたと思いますが、その成果がどうして実ったか、これはみなさんひとつお考えいただきたい。それは恭順ということ。この二字です。敬い従う、謹んで従う。これはただの恭順ではありません。朝廷の命令、陛下のご命令。これに対しては絶対に従う。なぜか、それは日本の国体ということを考えられたからです。普通外国には無いことです。
 今日のように謝罪ということが非常に流行って、方々へ頭を下げることがよくありますが、恭順の中にはそういう意味が無いこともありません。しかしながら、恭順というのはそういう意味ではない。誠を尽くして、朝廷のために尽くす。これが慶喜公の精神でありましょう。これをご理解いただくことが、第一にお願いしたいところでありますが、こういうことは、なかなか水戸以外の人には解らない。
 最近出ました本をいろいろ読みますと、言っても仕方ありませんが、一番良いのは『徳川慶喜公伝』渋沢栄一子爵の編纂された本です。これは大正七年に完成していますが、それとそのもとをなした、慶喜公の回顧談『昔夢会筆記』というのがあります。これが基になって『慶喜公伝』が作られますが、これを読まれるのが一番良いと思います。
 しかしながら、その後たくさん出た本の中には、いろいろ憶測をして本当の恭順なのだろうか、あれはごまかしじゃないかとか、あるいは嘘、まったく嘘をいっているのだ、芝居なのだ。陰謀なのだ。いろいろいわれてる。こういうのは取り上げるに足らないから申しませんが、割合にいいのは藤井貞文先生と言って、國學院大學の教授ですが、この方の『宿命の将軍徳川慶喜』。これは昭和五十八年に出ております。吉川弘文館ですが、これは割合に良いですね。しかしそれでも、水戸のことが良く解っておられないのです
。 水戸のことが良く解っていて書物になっているのは、今のところ見ておりませんが、そういう方としては菊池謙二郎先生を挙げます。水戸一高の前身の水戸中学のために「至誠一貫」という校是を決めて、これを慶喜公に執筆してもらったのが菊池謙二郎先生。それは菊池先生にとっては慶喜公は至誠一貫の人である、至誠をもって貫かれた人である。こう考えられてそれを生徒の教えの一つの根本とし、永久に残そうという考えで「至誠一貫」という文字を講堂に掲げました。残念ながら戦災で焼けまして、今はありません。しかし「至誠一貫」という言葉は、菊池謙二郎先生の文集といいますか、『水戸学論藪』という大きな本の中にある、「水戸学風と尊王」という一つの文がありまして、その一番最後に水戸人の慶喜公観が表われております。そこだけお読みします。
    ああ、他人をして慶喜公の地位にあらしめたならどうであったろう。
    政敵よりは迫害を蒙り、家臣よりは怨恨を買い、しかも天を恨まず人を咎めず、
    一意皇室を思い国家を憂えられたその至誠は何人が企及し得るところであろうか。
だれがいったい真似できるであろうか。と至誠を述べられて、
    明治維新の大業の一半は公の至誠に帰せざるを得ない。
真心である。これが明治維新の大業の根本だと。
    而して公をしてかくのごとくならしめたるその一半はまた祖宗の遺徳である。
    義公以来尊王思想の涵養を蘊蓄せられた結果である。
    公は実に尊王の大義によって皇基を守られた方である。
と、こういう評価をしておられます。これが最後の結論ですね。そういう結論までには、いろいろ説明、論議がありますが、それはここでは略します。
 そういうことを頭において、この慶喜公を本当に知るには、水戸学を知ることだと。それは皆さんにとってひとつの大きな課題であると思います。殊にそのなかでも恭順、至誠恭順。このことをお考えいただきたいと思います。
 これから五回にわたって講義がありますが、本日はその第一回として久野先生の「慶喜公の人格形成」。久野先生はご存じの方もあるでしょうが水戸三高の校長であり、またNHKには一番関係の深い方で、一番最初にNHKの方が水戸へ来られたときに久野先生にお話しを聞き教えを受けて、そして、案内を願って頭のなかへまとめて帰ったんでしょう。ですからドラマに問題がありましたら、久野先生にひとつ何なりとおっしゃって、あそこは違うから直してくれとか、こういうふうにやってくれとか、どんどん意見を出していただくと良いと思います。(一同笑)
 どうか、そういう意味で最後までお聞きいただきたいと思います。
 まことに、失礼いたしました。


第1回『慶喜公の人格形成』